アベラシオン
はじまりは、四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社、2007.6)だった。先生とは由良君美であり、拙ブログ2007-07-27で取り上げた。英文学の由良君美は、四方田氏の見解を引用すれば、
私見するに、由良君美という存在の再検討は、かつては自明とされていた古典的教養が凋落の一途を辿り、もはやアナクロニズムと同義語と化してしまった現在、もう一度人文的教養の最統合を考えるためのモデルを創出しなければならない者にとって、小さからぬ意味をもっているのではないだろうか。(『先生とわたし』p.233)
由良君美の時代は、先行する仏文の澁澤龍彦、やや後輩となる独文の種村季弘とともに、一時代の知の系譜を担った学者だった。由良君美没後、四方田犬彦が『セルロイド・ロマンティシズム』(文遊社、1995.2)を編集し、師・由良氏へのオマージュを捧げた。また巽孝之は『メタフィクションと脱構築』(文遊社、1995.4)の解説を寄稿している。
- 作者: 由良君美
- 出版社/メーカー: 文遊社
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由良君美ゼミから、俊才が輩出している。四方田犬彦をはじめ、高山宏、富山太佳夫など。首都大学東京からの撤退を決めたらしい高山宏は、紀伊国屋書店Web「書評空間」に「読んで生き、書いて死ぬ。」を、2007年5月から「書評」掲載をはじめたところだった。7月8日に高山氏が『先生とわたし』を取り上げていることを発見したのが、その後の一連の連動現象に繋がったわけだ。
高山宏の著書に引用される種々の書物のなかで、ユルギス・バルトルシャイティスの著書が気になった。いま、国書刊行会から刊行されている著作集(全4巻)が入手可である。そのうちまず第1巻『アベラシオン』から読んでみる。
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『アベラシオン』は、4つの論文から構成されている。「人間にひそむ獣の顔」「図像をもつ石のメルヘン」「ゴシックの森のロマン」「庭園のなかにあらわれた楽園」。
しばしば非理性的と隣あうがゆえに、こんにちの学者たちからは軽視され排除されていたり、それとも近代の文脈のなかでまったく曲解されてしまっていたりする種々のテクストを紹介することによって、私たちは、ある形態学的発達の筋立ての全体を再構成し、そこに生まれるポエジーと意味とを感受せしめるようにつとめてきた。形而上学的真理は、アラベシオンのうちにも見出される。(p.5)
ここでバルトルシャイティスがいう「形而上学的真理」とは、オスカー・ワイルドの「形而上的な真理とは、仮面の真理でもある」を踏まえている。
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第一論文「動物観想学」の冒頭の図版が、『フランス-ディマンシュ』動物と人間。高山宏『表象の芸術工学』の153頁に掲載されている既視感のあるおなじみの図版だ。
第二論文「絵のある石」から引用する。
十七世紀のあいだにあまねくひろまるのを見た絵模様をふくむ石ー渦巻く光景をそなえ、そのなかにさまざまな人物像を生かしてきた大理石や瑪瑙は、「自然」の芸術と「芸術」の自然とをめぐる同じひとつの思索の結果である。ここにあっては、石と生命とが、氾濫するバロックの幻想のさなかに重なりあい、混じりあう。これらはすべて形而上学と伝説との古い資源に属するものであり、その資源自体がまた、これらの形態とともによみがえるのである。(p.105)
石のなかの絵に、形而上学的真理をみるのがバルトルシャイティスの視点であることが分かる。
第四論文「庭園とイリュージョン風景」は、18世紀フランスとイギリスの庭園の違いを具体的に見て行く。フランスにおける幾何学的庭園にたいして、無秩序と反相称。シナ風の建物がこの時期、かなりの影響力を持っていたようだ。イギリスやフランス18世紀の「庭園」が、いかに様々なイリュージョンによって造型されていたかの見本展覧会の様相をみせている。とりわけバルトルシャイティスは、18世紀の庭園の特権性について次のように記している。
ファンタスティクな風景は現実の風景に影のようにつきしたがう。それぞれに相異なる数百年間を通じて互いにへだてられていた国土のなかで、それが同一の仕方で、しかも同一の構成要素に基づきつつ展開される。けれども庭園において、また十八世紀においてのみ、われわれは特権享受的に、技術家と哲学者たちのみちびきに安んじて身をゆだねることができるのである。彼らの証言はあらゆる時代に通用し、また絵画においても通用する。西洋文明と東洋文明の関連において想像力はその手段において無際限ではなく、また文献において無尽蔵ではない。「濫用」さえもがくり返し同一形態に立ち戻るのである。(p.268)
松岡正剛が「千夜千冊」第13夜で『中世の幻想』をとりあげ、バルトルシャイティスとの出会いの遅れを
ユルギス・バルトルシャイテスを知るのが遅すぎたのだ。それほどにバルトルシャイテスの本との出会いは衝撃だった。・・・(中略)・・・そんなバルトルシャイテスの研究領域を一言でいいあらわすのは不可能である。それだけでもぼくの尊敬に値するのだが、ましてその研究が視覚と言葉をまたぐ歴史の中の「テイスト出現のプロセス」ともいうべき得体の知れないものの解析におよんでいることは、尊敬というより、むしろ戦慄とか恋愛をこそおぼえる。
と述べていることからもいえるが、誰もがバルトルシャイティスの魅力の大きさに驚いてしまうこと間違いないだろう。
バルトルシャイティスが、『アベラシオン』についてラジオのインタビューで回答した「私が本に”アベラシオン”という題をつけたのもその言葉によって実際にはそこに存在するはずのない物が、あるところに現れているという現象を示すのに最もふさわしい表現だと思ったからです。」(「月報2」)という言葉に、本書の意図がズバリ指摘されている。
1920年代のシュールレアリスムなどの前衛芸術運動と1950年〜60年代の思想的営為は連動していたことが、1950年代の思想的営為を担った内のひとりユルギス・バルトルシャイティスから教えられるのだ。
幻想の中世〈1〉ゴシック美術における古代と異国趣味 (平凡社ライブラリー)
- 作者: ユルギスバルトルシャイティス,Jurgis Baltrusaitis,西野嘉章
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幻想の中世〈2〉ゴシック美術における古代と異国趣味 (平凡社ライブラリー)
- 作者: ユルギスバルトルシャイティス,Jurgis Baltru〓@7AAD@saitis,西野嘉章
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現在絶版となっているバルトルシャイティスの『中世の幻想』(平凡社ライブラリ)の復刊を願うものである。