新刊書への期待


出版ニュース』2009年1月上・中旬号から「今年の執筆予定」で、気になったものをピックアップしてみた。

石原千秋漱石はどう読まれてきたか』・・・同時代評から現在の研究史までを一望する。

『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)

『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)


四方田犬彦『四方田の濃縮』・・・これまでの著書100冊(凄い量)のハイライト集になる。

高山宏『新人文感覚』1・2・(3)(東京大学出版会)・・・単行本未収録の約三千五百枚の9割以上収録。東大出版会となじみにくい内容となったので別書肆からの可能性あり。『アリスに驚け』(青土社)・・・「英文学よさらば」の気合で「全文」をキャロルに投入とのこと(二年越しの企画)。『高山宏の解題新書』(人文書院)・・・高山氏翻訳書40冊の巻末「解題」を集めて、「解題」論付す。翻訳は、S・シャ−マ『レンブラントの目』(河出書房新社)。B・スタフォード『象徴と神話』(産業図書)ほか。

アリス狩り 新版

アリス狩り 新版


武藤康史『国語辞典の歴史』

山田宏一ヒッチコックについて語ろう』(和田誠との共著)。『ゴダール、わがアンア・カリーナ時代』。『ゴダールの映画誌』。『トリュフォー、手紙によるもうひとつの映画的人生』・・・そういえば『トリュフォー書簡集』はどうなったのだろう。

日本侠客伝―マキノ雅弘の世界

日本侠客伝―マキノ雅弘の世界


沼野充義 ナボコフ『賜物』(池澤夏樹編/世界文学全集)の翻訳

内田樹『日本辺境論』(新潮選書)。『街場の家族論』(講談社

成田龍一司馬遼太郎論』(筑摩書房

岡崎武志漱石とハルキの坂』(集英社新書

◎渡邊一民『武田泰淳竹内好


石原千秋漱石はどう読まれてきたか』、高山宏『新人文感覚』、武藤康史『国語辞典の歴史』、山田宏一ゴダールの映画誌』、岡崎武志漱石とハルキの坂』あたりを多分購入することになるだろうが、高山宏の新刊発売は、今年も無理だろう。

さて、「今年の執筆予定」のなかでも、詩人・清水昶氏の次の言葉がひっかかった。

最近、表現活動について不安である。活字文化は滅びつつある。今まで俳句を三万五千句以上書き新詩集も出したいが果たして誰が読んでくれるのだろう。この白夜の時代を生き抜く方法は、唯一、日常の裂け目を発見することだ。日常そのものは退屈で笑止である!(p.45)


「活字文化は滅びつつある」という認識は、必ずしもそうではない。ウェブ上に氾濫するのは活字そのものだから。もちろんそれが、「活字文化」といえるものかどうか疑問ではあるが。

今、詩人や俳人歌人にとって、詩集や歌集が書物として、どれほど読まれているのだろうか。「誰が読んでくれる」ではなく、「誰に読んでもらいたいか」ではないのか。

ウェブ上における情報氾濫は、特定主題から検索したり、RSSなどによる情報収集には効果的だが、全体をながめるという視点では、過剰な情報が世界をみる目を阻害しているともいえる。


関心のある情報や記事などに限定されてしまう恐れなきしもあらずだ。ネット・ウェブ社会のマイナス面もみえてきた。検索エンジンで即座に回答が出る問いは、根源的ではない。すぐに回答がみつからないような、読み方、ゆっくりしたリズムで思考する方法こそが、今後ウェブ社会のなかで真に生き抜くことができる方法なのではないか、と考えたりする。



■ことばのラジオ(2009年1月6日)


1月6日(火)の「ことばのラジオ」で、荒川洋治氏が今年の出版企画に言及していた。

各大手出版社では、「活字の力」「言葉の力」「本のちから」を感じさせるもの、つまり、読書から遠ざかる流れをくいとめようと、「読書」の意義を唱えるものが多いと言う。


今年は、生誕100年を迎える文学者に、大物が多い。1909年・明治42年生まれには、大岡昇平中島敦埴谷雄高(戸籍では1910年生まれ)、松本清張太宰治、中里恒子がいる。


太宰治全集〈1〉初期作品

太宰治全集〈1〉初期作品

不合理ゆえに吾信ず 1939~56 (埴谷雄高全集)

不合理ゆえに吾信ず 1939~56 (埴谷雄高全集)


更に、著作権がきれる作家としては、永井荷風がいる。岩波書店から、『荷風全集』全30巻別巻1冊刊行予定。1990年代に刊行された30巻の再刊、別巻として新資料を一冊増補するらしい。

なるほど大物作家が多いが、あらためて『個人全集』を買い求めることにはなるまい。生没年に関係なく個人全集としては、『子規全集』の増補改訂版を期待したい。また、蓮實重彦フローベール論』『ジョン・フォード論』の刊行を待っている。