挑戦


ビクトル・エリセDVD−BOX』(紀伊国屋書店、2008.12)が、2008年末に発売された。予約していたものが、年末に届き、本日、未見で日本初DVD化となる『挑戦』(Los Desafios,1969)を観た。



『挑戦』は、三話からなるオムニバス映画で、三篇に出演しているディーン・セルミアが制作者エリアス・ヘレケタにオファーして撮影にこぎつけた作品であり、1969年当時有望視されていたスペイン人監督3名が指名され、ビクトル・エリセは第3章を担当している。内容は、閉鎖された状況における男女4名が共通の設定で、第3章は男女4名が無人の街に到着するシーンから始まる。チャリー(ディーン・セルミア)は、高い建物の屋上から望遠鏡でのぞくと、フリアン(ルイス・スワレス)とフロリディタ(デイシー・グラナドス)が浴槽で戯れている。教会のような建物から出てきたマリア(フリア・ベニア)を捉えるが彼女はカメラを手に、チャーリに合図を送る。


次のシーンでは、フリアンがフロリディタを相手にロールシャッハテストを実施している。その後も、この四人にチンパンジーを加えて、男女4人の葛藤が活写される。アメリカ人チャーリーは、『挑戦』3編とも異邦人の役割を演じているが、第3章では、二人の女性と一人の男性から疎外されているようにみえる。唯一心を交わすのがチンパンジーという皮肉な状況。フリアンが早く旅立ちたいことを主張し、チャーリーはこの無人の街に残りたいと意見が衝突する。そして、ダイナマイトを仕掛けたチャーリは、3人がスイカを食べているところへ侵入する。キャメラが引いて建物が爆発するシーンが写される。それを見る目が残されたチンパンジー


ミツバチのささやき [DVD]

ミツバチのささやき [DVD]


この作品に続いて、ビクトルリセは、『ミツバチのささやき』(El Espiritu de la colmena,1973)『エル・スール』(El Sur,1983)『マルメロの陽光』(El Sol del membrillo,1992)を、まさしく10年に一本の割合で撮るわけだが、この三本については以前に書いた【覚書】が残っているので、それ以下に貼付しておきたい。

          • -

【精霊としての怪物】       
ミツバチのささやき』は、少女の通過儀礼を、物語の背景の過剰な説明を排した古典的作品として描いた。昔むかし・・・一九四O年のこと。スペインの小さな田舎町に、巡回映画のトラックがやって来る。町の公民館で上映されるのは『フランケンシュタイン』、観客のなかに少女姉妹がいる。二人は真剣な眼差しでスクリーンを見つめていた。姉のイザベルは、映画の嘘を知る大人びた存在として、妹アナは、映画の虚構と現実の区別がつかない純心な少女として設定されている。アナは、イザベルの言葉を信じて、怪物を精霊と思い込み神秘的な体験に遭遇する。 父親は教師で養蜂に熱中し、母親は国外に逃亡した誰かに手紙を送り続けている。内戦によって隠遁生活を送る両親。詳しい説明は一切排除されているので、映像の背景を推測するしかない。そんな家族状況のなかで、少女姉妹は成長してゆく。アナの美しいまでのあどけなさと、少女の内面に大人の兆しをみせるイザベル。対照的な二人。セピア調の陰影ある画面は見る者を魅了してやまない。


エル・スール [DVD]

エル・スール [DVD]


【南を指す風見】
 『ミツバチのささやき』から十年後の『エル・スール』は、暗闇が徐々に明るくなり画面の右手に窓が見え、少女がベッドに横たわっている光景が浮かびあがってくる印象的なショットから始まる。エル・スールとは南の意味であり、父親が捨ててきた故郷のことで、屋根の風見が南を指したまま動かない。娘の目から見た父親の苦悩が、不可解なものとして表現される。父と母はともに内戦を闘った同志だが、父にはもう一人の女性がいた。父の机の中に、見知らぬ女性の名前を発見した娘は、同じ名前を町の映画館のポスターで見かける。『日陰の花』という映画の主演女優が、父の恋人であった。父がその映画館から出てくる所を偶然見てしまう。町のカフェでその女性に手紙を書いている父を、娘が窓越しに見つめる忘れ難いシーンがある。
 娘の聖体拝受の日、父と娘はダンスを踊る。また自転車に乗って家の前の道路を画面の奥に向かって走り去った少女が、戻って来た時は娘に成長している。この二つのシーンはエリセとしては、めずらしくケレン味のある素晴らしいショットとなっている。ある日、父は娘を学校の昼休みに食事に呼び出す。娘は、父の意図を深く理解しないまま、会話を交わすのだが、それが父との最後の会話となった。娘の回想的ナレーションでその直後、父親が自殺したことが語られる。具体的な説明がないだけ、見る者に衝撃を与える。父と娘の関係は、『ミツバチのささやき』のその後であり、『エル・スール』のラストでは、娘は父の故郷=南へ旅立つ。


マルメロの陽光 [DVD]

マルメロの陽光 [DVD]



【静謐なる至福の時間】
 第三作『マルメロの陽光』(1992)は、現代スペインの画家アントニオ・ロペスとその家族を、ドキュメンタリー手法で描き、前二作とは関連がないかに見える。朝の二時間、マルメロの樹に秋の陽光が差す。アントニオ・ロペスは、陽光に輝くマルメロをそのまま描こうとする。毎日、少しずつ変化するマルメロの実を、変化を含めて対象化しようとする。
 ビクトル・エリセは、その様子を克明にキャメラに収め撮ろうと試みる。画家アントニオ・ロペスとその家族は、前二作の家族の延長上に置かれていると解釈できる。夫がコートを着てベッドに横たわる姿を、同じ画家である妻が描く。眼を閉じたまま横たわる夫がそのまま眠ってしまう。夫人が描いた絵とその光景が、ひとつの画面の中に相似形として収まってしまうショットは、不思議な静謐さが漂う。
 『マルメロ』では、家族や周辺の人々全員が画家を暖かく見守る。ここには、家族全員が揃う至福の時間が流れている。家族の幸福が、内戦によって崩壊した前二作の不幸を、このフィルムは一挙に取り戻そうとしているかのようだ。


【映画の考古学=光と影の美学】
 エリセ的世界では、父性にかかわる隠喩的な力が、現実に存在する神秘を発見する。父親達は、『ミツバチのささやき』では毒きのこを一瞬にして見分けるし、『エル・スール』では振り子の揺れによって水脈を発見する。『マルメロ』には、庭の樹を凝視する画家をキャメラを介して見つめるビクトル・エリセがいる。     
 光と影の絶妙のバランス感覚、深みのある陰影に富んだ映像は、いってみれば映画の考古学的表情をまとっている。エリセは社会的背景について、過度の説明を排除する禁欲的態度に徹する。三本のフィルムに共通するのが、大胆にして繊細な宙吊りの結末。観る者を、思索と瞑想にみちびく余韻を残す。
 十年に一本しか撮らない作家として、ビクトル・エリセの次回作は、21世紀初頭になるだろう。それまで映画というメディアが存続することを祈りながら待つことにしよう。

                        • -


10ミニッツ・オールダー コレクターズ・スペシャル [DVD]

10ミニッツ・オールダー コレクターズ・スペシャル [DVD]


と記したのだが、『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス/ライフライン』(2002)で、10分間のフィルムを撮ったことは周知のとおり。問題は次の長編への期待なのだ。