メゾン・ド・ヒミコ
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犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』を半年遅れで観た。オダギリジョーと柴崎コウ主演というだけで、期待度は高まる。まして『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督となればなおさらだ。
- 出版社/メーカー: アスミック・エース
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ゲイの老人ホームが舞台といえば、観るまえに気が引けてしまうけれど、本作は末期癌におかされた父親ヒミコ(田中泯)の恋人(オダギリジョー)が、娘の沙織(柴崎コウ)を父親に逢わせるため、彼女の勤める事務所に出向くところから物語が始まる。事務所の細川専務を西島秀俊が演じているのも注目すべきところ。
アルバイトという名目で、父の経営する「メゾン・ド・ヒミコ」を手伝うことになる。最初は、オカマになった父を嫌悪していた柴崎コウが、ゲイの仲間たちに親しめないまま、彼らも普通の人間でありそれぞれオカマとしての人生を重ねてきたことを知るにつれて、ホームの仲間たちと親しくなって行く。
ある日、ルビイ(歌澤寅右衛門)が脳卒中で倒れ、ホームで面倒みきれなくなり、またホームのパトロン(高橋昌也)が脱税容疑で逮捕されたため、父・田中泯がホームを閉鎖してもいいと判断したことに対して、娘・柴崎コウは、ひどく父に反発を覚える。父の愛人・オダギリジョーへの関心と、彼が黙々と父に従うことへのいらだちを隠せない。女装趣味の山崎(青山吉良)が、様々な衣装を購入し、あたかも着せ替え人形のごとく、次々制服を着替える柴崎コウがはじめて笑顔をみせるシークェンスが良い。
父親を残しホームの連中が全員でダンスホールへ繰り出す。柴崎コウはスッチーの衣装でツアーコンダクター役。ダンスホールでは、突然「星ふる街角」にあわせて全員が楽しく踊る。この映画の中で一番ハッピーになる瞬間だ。続く曲は尾崎紀世彦の「また逢う日まで」。オダギリジョーと柴崎コウがスクリーンの前面でパートナーとなって楽しく唄い踊るシーンは、心が浮き立ちあたかもクライマックスシーンであるかのような印象を受ける。
父の過去の写真が飾られている部屋で、父が経営していたクラブで、柴崎コウの母親が中央にいる写真をみつける。別れた両親は、娘に内緒で逢っていたことがわかる。父の死の直前、娘が問い詰めると「でもあなたが好きよ」と父親が答える。柴崎コウは、ホームとそこに住む人達に「嘘じゃん、インチキじゃん」と言って、ホームを去ってしまう。会社の事務所にもどった柴崎コウは、会社専務の西島秀俊と関係をもってしまう。西島秀俊のふわふわした存在感もこの作品のテーマの一環にほかならない。
その後に和解が示されるけれど、個人・個人はどこまでも孤独である。人は関係のなかで生きるとしても家族という制度のなかであれ、ゲイという特殊な世界のなかであれ、いずれは個人に還元される。
「愛とは何か」だの、あるいは「人生の生き方」だの、そんな堅苦しいことを問いかけているのではなく、人生はなるようにしかならないという諦念のような心情が、フィルムから伝わってくる。一見、心優しい映画づくりのようだが、『ジョゼと虎と魚たち』がそうであったように、必ずしもハッピーエンドが約束されているわけではない。
『メゾン・ド・ヒミコ』を観るひとつの視点は、柴崎コウの顔の表情にある。オダギリジョーが終始同じような穏やかな表情であまり変化をみせないのに比べて、柴崎コウは最初から怒った表情が続き、ジロリとにらんだ瞳の鋭さと美しさ*1もにゾクゾクさせれるけれど、その表情は父への、また社会への怒りであり、彼女が笑う瞬間にこそ、このフィルムの志向性を伺うことができる。観る者がフィルムを一旦解体し、観る者の視点で再構成する映画といってもいいだろう。人間とは所詮、孤独な存在であり、きわめて不確かな存在にすぎない。
■犬童一心の代表作
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