内村剛介ロングインタビュー


陶山幾朗編『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀』(恵雅堂出版、2008.5)*1を、入手後一気に読了した。内村剛介『生き急ぐ―スターリン獄の日本人』との出会いは、「シベリア抑留」体験の極北であり、衝撃的であった。


生き急ぐ―スターリン獄の日本人 (講談社文芸文庫)

生き急ぐ―スターリン獄の日本人 (講談社文芸文庫)


「シベリア抑留」体験といえば、長谷川四郎『シベリア物語』、石原吉郎『望郷と海』など、その体験のあまりの強烈さに、表現する作家・詩人・評論家たちに通低するものが、微妙に色合いが異なることを感じてきた。シベリア捕虜体験者でいえば、内村剛介はその強靭な精神力で、スターリンソ連と対峙している迫力には圧倒されてしまう。


石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)


内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀』は、内村氏の幼年時代から満州への渡航ハルビン学院でのロシア語の修得、繰上げ卒業後の関東軍へ入隊、1945年9月終戦後、ソ連軍による逮捕・拘留されてから、帰国し内村剛介となり、現在に至るまでが語られている。『生き急ぐ』は、拘留された時点から、タドコロ・タイチが、「あなたは逮捕されました」からの物語として記述される。25歳から36歳という青年期をラーゲリー内に拘束された内村剛介の内面からみた獄中生活を描いたものだが、平壌での逮捕のいきさつなどは、本書『内村剛介ロングインタビュー』によってはじめて知りえた。


本書は、陶山幾朗による7年間に及ぶ聞書きであり、内村剛介の大陸少年時代から「最後のあいさつ」と副題が付された「君も、われも、やがて身と魂が分かれよう」なる章で結ばれている。恵雅堂出版から、『内村剛介著作集』全7巻の刊行が計画されており、第1巻がまもなく配本される。著者自身の年齢(88歳)から、自筆の論考や回想記を今後に期待しないとすれば、本書は「もうすぐわれわれの書き物は読まれなくなる」という自覚のもとでの本書と出版考えられる。


見るべきほどのことは見つ

見るべきほどのことは見つ


2007-02-18 の項「戦後(文学)は終わっていない 」で、石原吉郎とともに内村剛介『見るべきほどのことは見つ』を取り上げているが、その時点で陶山幾朗によるインタビューが「わが二十世紀回想」として四回分が掲載されていたのだった。つまり、『内村剛介ロングインタビュー』の冒頭四章が、『見るべきほど・・・』と重複していることが二冊を照合させることで確認できたわけだ。


と同時に二冊をつき合わせ、また『生き急ぐ』の三冊をあわせてみると、大陸少年から内村剛介になる四章までに、内村氏の本質的な思想と行動のすべてが表出されており、帰国後の経歴そのものは、ソ連体験を凌駕するものではなく、追体験していることが読者にも見えてくる。凝縮された11年こそが、内藤氏が内村剛介に変貌する過程にほかならない。内村剛介の代表作は『生き急ぐ―スターリン獄の日本人』に尽きる。

パソコン/ワープロの時代になって、人はいま文化に背を向けられはじめているのかも知れないと思ったりします。(p.76)


「文化」について実感として賛同できる発言であり、教育に関しての内村氏の次のことばは、教育がすべての基本になることを説いている。

明治の新政府はもともと徳川幕藩体制下で育まれた儒教的倫理を倫理化し、道徳化したのです。修身斉家、治国平天下。・・・おのれの人格形成が出来ぬうちは天下国家のことに口を出すなというわけです。徳川時代には寺子屋を通じて、わが身を治めてから初めて世間に対して物が言えるのだということが定着していたんですね。これはたいへんな精神的財産であって、だから日本人は当時皆シャンとしていて決して卑屈ではなかった。(p.113)


いかに教育が大切であるか、根底となる倫理・道徳はいかにして形成されているか。大人社会の鏡が教育現場であるとすれば、リベラル・アーツの復権がいまこそ必要なのだが。。。


わが身を吹き抜けたロシア革命

わが身を吹き抜けたロシア革命


なお、本書には吉本隆明による序文が「深い共感が導き出した稀有な記録」と題して寄稿されている。また、『内村剛介著作集』には、吉本隆明佐藤優沼野充義の三氏が「推薦の言葉」を寄せていることを付け加えておきたい。


獄中記

獄中記

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)