レスコフは義人の物語作家であるとベンヤミンは評価した

左利き 髪結いの芸術家

 

群像社のHPを見ていたら、ブーニン作品集4『アルセーニエフの人生』(2019)に刊行されていたことを知り、更に、レスコフの短編集新訳二冊『左利き』『髪結いの芸術家』が、「レスコフ作品集1,2」として2020年2月に発行済であることを知り、早速、これらの三冊を取り寄せ入手した。

 

左利き (ロシア名作ライブラリー)

左利き (ロシア名作ライブラリー)

  • 作者:レスコフ
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

髪結いの芸術家 (ロシア名作ライブラリー)

髪結いの芸術家 (ロシア名作ライブラリー)

  • 作者:レスコフ
  • 発売日: 2020/02/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 


また、東海晃久訳『魅せられた旅人』(河出書房新社,2019)も昨年末に新訳として出版されていたことを遅れて知った。

 

魅せられた旅人

魅せられた旅人

 

 

レスコフは、ベンヤミンによる「物語作者ニコライ・レスコフの作品について」*1の結末で「物語作者ーそれは、自分の生の灯芯をみずからの物語の穏やかな炎で完全に燃焼し尽くすことのできる人間のことだ」と捉え、スティーブンソン、ポーと並びレスコフを評価し、「物語作者とは、義人が自分自身に出会うときの姿なのである」と結んでいる。「義人」とは、「レスコフの被造物たちの列を率いる人間たちもメールヒェン的に抜け出ている。それはすなわち義人たちである」と17章で規定している。

 

さて『左利き』を、「左利き」「老いたる天才」「ニヒリストとの旅」「じゃこう牛」の順で読む。たしかに語りの文学だ。「じゃこう牛」とあだ名が付せられた男は、ギリシア正教派への反発者だったことが彼の自死により明らかにされる。友人が物語る話だが、「じゃこう牛」ことワシーリイ・ペトロ―ヴィチは<義人>と捉えられる。


「左利き」は「ぎっちょ」として東海晃久訳『魅せられた旅人』にも採録されている。左利きの鉄砲鍛冶職人が見事な腕前で蚤の模型に蹄鉄が撃ち込まれている作品を作る。そのおかげでイギリスに外遊を許され、イギリスの鉄砲改良を発見し、帰国後ツァーリに報告しようするが、阻まれ病死する。<義人>伝説の典型的物語。

 

『髪結いの芸術家』は、「アレクサンドライト」「哨兵」「自然の声」「ジャンリス夫人の霊魂」「小さな過ち」と「髪結いの芸術家」が収録されている。

 

「髪結いの芸術家」は、作者が子供のころ、弟の乳母だった老女からの聞き書きの形で語られる、若き日の駆け落ち未遂の顛末だった。ほぼ全ての作品が、私あるいは誰かが、聞き書きのように語りを記録している。その語り口が見事な物語になっていて、読む者は引きずり込まれる。まさしく、ベンヤミンが、早々に読み取っていたことである。老女が若き日に駆け落ちしようとした相手の髪結いの若者は、自己を犠牲にして女性を助ける。老女はその忘れられない思い出を著者に語る。髪結いの若者こそ<義人>にほかならない。また、「哨兵」は他者の命を救うことで自分を破滅させた<義人>を描いている。

 

 

真珠の首飾り―他二篇 (岩波文庫 赤 639-2)

真珠の首飾り―他二篇 (岩波文庫 赤 639-2)

 

 

そういえば「ムチェンスク郡のマクベス夫人」(『真珠の首飾り』に採録)も語りで始まっていたことを想起した。ただし、セルゲイと商人の妻カテリーナ(マクベス夫人)の行路は<義人>の定義から逸脱しているが、物語の深さに圧倒される異色の作品であった。

 

 

ベンヤミンの<義人>説を確認するためには、レスコフ作品の翻訳が少ない。今回、群像社から二冊、計10編の短編が翻訳出版されたが、19世紀ロシア文学の系譜から距離を置くレスコフの全貌が見えるような環境が整う必要があるだろう。

 

群像社へのお願いとして、未刊の『ブーニン作品集・第二巻』と、「レスコフ作品集」の続編の刊行を期待したい。

 

 

 

*1:ベンヤミン著「物語作者」は、『ベンヤミン・コレクション2』の283頁~334頁に採録されている