彼岸と此岸をつなぐ古井由吉の<ことば>

神秘の人びと

 

古井由吉の『神秘の人びと』(岩波書店,1996)は、『仮往生伝試文』の西洋版であり、私は、中世西洋の修道院の人びとによる神秘体験を興味深く読んだ。マルティン・ブーバー編纂の説教集や、マイスター・エックハルトの説教集のドイツ語訳を、引用しながら自在に、古井由吉の言葉に変換しているところなどいかにも、古井由吉版『西洋往生集』になっている。

 

神秘の人びと

神秘の人びと

  • 作者:古井 由吉
  • 発売日: 1996/06/25
  • メディア: 単行本

 

神の慰めの書 (講談社学術文庫)

神の慰めの書 (講談社学術文庫)

 

 

 

 

古井由吉に関して、文芸雑誌を三冊すなわち『群像』『新潮』『文學界』5月号を購入した。文芸雑誌を三冊まとめて買い求めること自体かつてないことだ。もちろん、「古井由吉追悼特集」を読むためである。

安藤礼二「境界を生き抜いた人 古井由吉試論」(『文學界』)と、富岡幸一郎古井由吉と現代世界ー文学の衝撃力」(『群像』)、二つの古井由吉論が参考になった。安藤氏は、古井由吉が<死の臨界>に迫ったことを文学的達成と評価し、富岡氏は古井由吉の『楽天記』が、<文学の黙示録>であると賞賛している。

 

 

水 (1973年)

水 (1973年)

 

 

 

白髪の唄 (新潮文庫)

白髪の唄 (新潮文庫)

 

 

辻 (新潮文庫)

辻 (新潮文庫)

  • 作者:古井 由吉
  • 発売日: 2014/05/28
  • メディア: 文庫
 

 

 

雑誌三冊に寄稿しているのは、蓮實重彦のみだ。東大教養学部の同級生であり、立教大学教員時代の同僚という立場からである。蓮實重彦が評価するのは、『水』『白髪の唄』『辻』の三作であることを明言している。

 

仮往生伝試文 (講談社文芸文庫)

仮往生伝試文 (講談社文芸文庫)

  • 作者:古井 由吉
  • 発売日: 2015/07/11
  • メディア: 文庫
 

 蓮實重彦は、『仮往生伝試文』には、「文中に「ブイヤベース」の一語がまぎれこんでいることが、耐えられなかった」と記す。
「十二月五日、土曜日、曇り」の断章には、「なぜだか、昨夜の宿の食卓でとても食べきれなかった、ふんだんの量のブイヤベースのにおいが鼻の奥にひろがった」という文章でまともな古井由吉ならこの南仏料理をしかるべき単語に置き換えていたはず」と確信し、「この作品は正当化されがたい長さにおさまるしかなかった」と批判している。
本文を確認すると、「物に立たれて」と題する章で、文庫版では266頁に該当箇所がある。

 

そもそも『仮往生伝試文』は、古典の引用と、作者自身の日記と思しき記録の絶妙の組み合わせによって成立している。しかも「物に立たれて」は、「十二月二日 水曜日 晴。」から始まる、例外的な手法になっている。「物に立たれて」は、男が突然不在となること、一家の主人がある日忽然といない、そんな雰囲気の様子を、日記の日付けから始まる書き方をしている。
蓮實重彦が指摘しているのは、南仏の記憶を記した日のことで、「ブイヤベース」という言葉への自らの嫌悪感を述べているに過ぎない。元来この小説の趣向は、古典と現代の交錯の中に、人びとの「往生」を描いていることに注目すべきで、一つの単語への執拗なこだわりから、人の往生の在り方を描く作品の大いなる意図を読み込んでいるのだろうかと疑問を禁じ得ないところだ。

 

話を『神秘の人びと』に戻そう。エックハルト説教集などからの翻訳・引用に、古井由吉独自の視点から抉り出す修道僧たちの神秘体験は、中世という時代にもかかわらず、きわめて緊迫した神との合一に至る苦痛にも恍惚たる法悦を受容しているような告白は、驚くべき内容だった。古井由吉氏の関心が、何処にあるかがよく分かる書物になっている。もうひとつの『仮往生伝試文』と言えるだろう。

 

人生の色気

人生の色気

  • 作者:古井 由吉
  • 発売日: 2009/11/27
  • メディア: 単行本
 

 

小説は難解だが、エッセイは読みやすい。小説の<ことば>は生と死をつなぐものになっている。いわば、此岸と彼岸の往還である。『神秘の人びと』は、彼岸へと向かう修道士たちの神への合一の段階的変容の経過を記している。

 

楽天の日々

楽天の日々

  • 作者:古井 由吉
  • 発売日: 2017/07/11
  • メディア: 単行本
 

 とりわけ語り口調の『人生の色気』には、古井由吉氏の考えが披歴されている。またエッセイ集『楽天の日々』は、充実した作品群でもある。

 

楽天記(新潮文庫)

楽天記(新潮文庫)