古井由吉氏の訃報は、近現代文学の終わりを告げる
古井由吉氏の訃報
新型コロナウイルスのパンデミック的感染拡大により、報道はこの武漢発生のウイルス一色となっている。この間、日常的な外出を控え、読書に集中していた。
古井由吉の訃報が小さく扱われていた。2月18日他界されたとのこと。
近現代文学の最高峰とも称される文学者・古井由吉氏の死は、現代文学の終焉を象徴している。
『杳子』で芥川賞受賞する。その前に、大学教員を辞職し、筆一本に専念している覚悟が凄い。処女作「木曜日に」を書き、その美文的な文体は、既に後の作品群を予感させるものであった。
鈍色にけぶる西の中空から、ひとすじの山稜が遠い入り江のように浮かび上がり、御越山の頂を雷が越しきったと山麓の人々が眺めあう時、まだ雨雲の濃くわだかまる山ぶところの奥深く、幾重もの山ひだに包まれて眠るあの渓間でも、夕立ち上がりはそれと知られた。(7頁「木曜日に」『古井由吉集』)
「木曜日に」の冒頭を引用したが、『新鋭作家叢書 古井由吉集』の解説で、川村二郎は「古井由吉は美文家である」と規定している。しかもその美文は、「その古風さを、ぼく(川村)は現代作家古井由吉の美徳に数えたい」と称え、「外と内が分かちがたくなっている」と評価する。この川村氏の指摘は、その後の作品に一貫した手法として続いていることに驚嘆しないわけにはいかない。
古井氏の作品は、明晰な文体が難解さを誘う。小説のストーリーを紹介するなど野暮となる。
古井氏の作品について、全てを読んできたわけではない。初期の『円陣を組む女たち』『杳子・妻隠』から『行隠れ』あたりまで、刊行と同時に入手し、伴走していた。しかしながら、その後しばらくは刊行を横目でみながら、購入も読むことも控えていた。
突然の驚きは、『仮往生伝試文』(河出書房新社,1989)の出現だった。
古典類の「往生伝」から引用し、それを作者=古井由吉が解釈する、続いて日付入りの記録。これが小説なのだろうかと思うような構成になっている。
往生を巡り、時間・空間を超越し、言葉が行き来する。おそるべき試み。すなわち「往生伝」に関する仮の「試文」となっているのだ。
この作品を分水嶺として、『野川』あたりから私小説風の言葉に、随想が混入して一種独得の世界を表現してきた。
古井由吉の言葉を借用すれば古井氏は、「聖譚」を書いてきたことになる。大江健三郎との対談において次のように語っている。
作家の意思の問題ではなくて、小説を書くことに常に内在している。小説というのは、どんなに暗澹とした解決不能なことを書いても、おのずから形が聖譚に寄っていく(27頁『文学の淵を渡る』)
現在、著者生前最後に刊行された『この道』を読んでいるが、老いてきた作家が、小説の中に戦中の体験や、若くまだ作家になる前の話や、著者の住むマンションの外装の工事あるいは、著者が入院した時のことなどが、混然と描かれる。文章は、「文体の作家」の栄誉にふさわしく、何処を切り取っても明晰な文体になっている。
ところが、全体のストーリーをたどれない。いや梗概を書くことなど意味がないような作品になっている。換言すれば、読むことでしか、古井由吉の世界に参入できない、そのような世界なのだ。
古井由吉の文体は、小説一般が過去形で書かれているのに対して、つねに現在進行形の文体が試みられている。もはや、古井氏のような作家は出現しないだろう。古井由吉の死とは、近現代文学の終焉を意味する。
とまれ、『新潮』掲載の「雛の春」に始まる「われもまた天に」「雨あがりの出立」の連作短編と未刊の「短編」やエッセイなどの刊行が待たれる。
初期作品から、『仮往生伝試文』『野川』にとび、『この道』を読むところまできたが、以下の未読作品が待ち受けている。とりあえずの、記録である。
古井由吉の待機作品