壁の中


後藤明生著『壁の中』(つかだま書房,2017.12)が、新装普及版として2017年末に刊行された。2018年最初の購入本。読むことができなかったポストモダンの傑作を、楽しみながら読む。国書刊行会の『後藤明生コレクション』にも、収録されていなかった幻の小説である。


壁の中【新装普及版】

壁の中【新装普及版】


雑誌連載の大長編という意味で、小島信夫の『別れる理由』に比肩する。1月中旬から読み始めたが、600頁余りの大長編を一気に読むことは困難を伴った。2月下旬にやっと読み終えた。後藤明生は、『挟み撃ち』に衝撃を受けた。他に『吉野太夫』も読んでいる。未刊小説『この人を見よ』(幻戯書房,2012)は未読。


挾み撃ち (講談社文芸文庫)

挾み撃ち (講談社文芸文庫)


後藤明生は、内向の世代。日本近代文学の戦後史を確認すれば、第一次戦後派(野間宏梅崎春生椎名麟三武田泰淳埴谷雄高など)、第二次戦後派(大岡昇平三島由紀夫安部公房島尾敏雄堀田善衛井上光晴長谷川四郎など)、第三の新人吉行淳之介安岡章太郎阿川弘之庄野潤三遠藤周作小島信夫など)、続いて内向の世代古井由吉後藤明生日野啓三黒井千次、小川国夫、坂上弘高井有一阿部昭、柏原兵三など)ということになる。これら戦後派作家以降で現在も執筆が続いているのは、古井由吉黒井千次の二人だろう。


吉野大夫 (中公文庫)

吉野大夫 (中公文庫)


小生の読書経験から、第一次戦後派では、埴谷雄高武田泰淳、第二次戦後派は、大岡昇平堀田善衛安部公房島尾敏雄を、内向の世代は、小川国夫、古井由吉後藤明生を読んできた。もちろん全作品を読むことはできないが、気になる作品は、読んでいる。急いで付け加えておけば、三島由紀夫梅崎春生椎名麟三吉行淳之介安岡章太郎庄野潤三も少しづつ読んで来た。


この人を見よ

この人を見よ


内向の世代以降は、作家をグループで分けることはなくなった。作家個人一人ひとりが独立している。中上健次村上春樹村上龍島田雅彦高橋源一郎佐藤正午等々。周知のとおり、村上春樹島田雅彦高橋源一郎の三人は芥川賞を受賞していない。


閑話休題後藤明生の『壁の中』に戻ろう。

第一部は、Mへの書簡形式をとっている。

大学の非常勤講師らしき人物の語りで話が進められるが、ゴーリキやドストエフスキイなどの作品への言及だの引用が頻出し、ある程度ロシア文学の造詣が求められる。

9/9(地下室)、9/15(主人公の自宅)、9/12(愛人のマンション)による場所表示をしながら、形式としては、Mへの手紙の形をとっている。書簡の中で語られて行く話は、アミダくじ式に移動し、ポリフォニィ表現というに相応しい。

聖書やギリシア神話に絡ませて、話が進む。とりわけ『聖書』がギリシア語で書かれたことにこだわる。

第一部は、小説という概念の枠内にとどまらず、逸脱に脱線を重ね、メタ小説になっており、読む行為が批評をも読むという重層的構造になっている。小説の解体!

第一部の最後に、永井荷風『墨東綺譚』が出てきて第二部に繋がる仕掛けになっている。

第二部冒頭の引用。

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「われは明治の児なりけり。
 -------------(中略)-------------
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の児ならずや。
去りし明治の児ならずや。」(永井荷風「震災」)


濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)


第二部は、永井荷風との対談という形を取りながら、冒頭の引用される「震災」という詩を根底に、『墨東綺譚』の「作後贅言」に触れながら「断腸亭日乗」を適宜引用し、対話を進めて行く。会話は軽妙を極め、あたかも荷風が現前しているかのようなフィクションたり得ている。

ポストモダン小説と命名される『壁の中』は、第二部に至り、荷風との対話を装いながら、荷風の従兄弟に当たる高見順との関係を『日乗』の中からたぐり寄せ、交渉の有無を迫る。鮎川信夫磯田光一の「荷風論」などを引用しながら、対話が続く。


永井荷風 (講談社文芸文庫)

永井荷風 (講談社文芸文庫)


戦後の、伊藤整三島由紀夫武田泰淳の鼎談などの引用は、小説に批評を包摂している。ラスト近く、正宗白鳥荷風の対話を仕立てるなど、まさしくポリフォニィ的テクストとなっている。


自然主義文学盛衰史 (講談社文芸文庫)

自然主義文学盛衰史 (講談社文芸文庫)


中でも、浄閑寺の「新吉原総霊塔」に、詩碑と筆塚に関して執拗に迫るが、「ふっふっふ・・・」と荷風がかわしている。

終わりが唐突に訪れる。荷風が「キミはいったいナニモノかね?」の答えが秀逸。トイレにゴキブリが現れて終わる。


内向の世代」は古井由吉が筆頭だが、後藤明生は特別な存在だ。


後藤明生コレクション