ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎


富士川義之著『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』(新書館,2014)を、「みすず」読書アンケート回答より興味を抱き、読了す。


読書人にとって、富士川英郎氏の生き方そのものが、規範とすべき書物となっている。

富士川氏は親子三代にわたり、学者の家系であり、義之氏にとって、父・英郎(ドイツ文学者)、祖父・游(医学史)の三代にわたる学者家系である。

文人学者、特に富士川英郎氏の場合は、読書好きという参照コードが、読む者に親しみを感じさせる。なによりも、生涯にわたる禁欲的な、別言すれば淡々とした変化のない生活ぶりであり、カントを彷彿させる。

とりわけ、本書カバーにも引用されている箇所は、これからの読書人の生き方にとって素晴らしい。

晩年に執筆された数多い回想の文章を読んでいると、老いることは哀しく、寂しいだけなどといったよく見かける悲観的な見方は少しも見いだせない。それどころか、老いを生かすことは素晴らしいことだとする、一種の幸福感が随所から立ち昇ってくるような趣きさえ感じられる。やぐらへの熱中にしても、学問的熱意もさることながら、その根底には、記憶のなかの影像に向かってひらかれた、少年のように純粋でみずみずしい感受性が生き生きと脈動していることがはっきりと感じられるのである。私はそのような回想の文章を読むのが好きである。(p426−427)


この文章のあと、英郎氏が小島信夫氏と邂逅したとき、「このあいだ芸術院でお父さんに久しぶりにお目にかかって、二人だけで一時間ほどお喋りしました。お父さんがいつまでも少年のような純真さを保っておられることに感心しました。やぐらとか、富士川游や荻原朔太郎などについてとうとうとお話になるのにすっかり圧倒されましてね」と、義之氏に話したそうだ。



小島信夫(1915年 - 2006年)と富士川英郎(1909年- 2003年)は、長寿作家と長寿学者であり、6年の差があるが、最晩年まで筆力が衰えることがなかった点で、共通している。しかし、家族とのかかわりは、小島信夫は、再婚した妻の認知症と、息子のアルコール中毒に悩まされている。一方の富士川英郎は、戦争中のいわゆる「暗い谷間」期間は、リルケへの学問的逃避といえなくもない。


リルケ詩集 (新潮文庫)

リルケ詩集 (新潮文庫)


戦後リルケブームがやってくる。もちろん、サルトルブームは知っているが、リルケにブームがあったことは、戦後文学のみが芸術的文化的財産と思いこんでいた小生の思い込みであった。

富士川英郎氏は、いつの時代も、自分の好みの学問・読書の世界に身を置くことを生涯にわたり貫いたと、云えるだろう。父の生涯を、その著作からながめながら、生活面でのふとした時のふれあいに言及している。過剰になることなく、一定の距離を置きながら、的確に英郎氏の肖像を描くことには、思い入れを排除し、淡々と述べて行くことが必要だが、本書は、伝記記述あるいは、史伝風な叙述は鴎外を規範としていることが、文章からみてとれる。

鴎外の史伝『伊沢蘭軒』が、祖父ー父ー子と引きき継がれ、読まれていることが、本書の通奏低音となっていることが、読了することでよく分かった。日本近代文学の二つの流れは、漱石と鴎外に代表される。富士川氏の家系は代々、医学にかかわる鴎外=伊沢蘭軒の生涯に魅せられたわけだ。


菅茶山と頼山陽 (東洋文庫 (195))

菅茶山と頼山陽 (東洋文庫 (195))


富士川氏の家系には、漱石とのかかわりはない。鴎外、荷風、そして江戸時代後期の菅茶山、頼山陽に遡及する。維新において、政治的な活躍とは距離を置くと云う点では、鴎外も漱石も同じであった。佐幕派の文学の系譜が、日本の近代文学の根底にあったと云うことだ。

江戸後期の詩人たち 東洋文庫816

江戸後期の詩人たち 東洋文庫816


富士川氏の伝記、鴎外の史伝から、江戸期後期における漢詩に至る過程は、近代文学を再考させる素材になっていることに、気がつく仕掛けである。