善き人のためのソナタ


フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督『善き人のためのソナタ』(2006)を観る。ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。芸術家たちは、国家による秘密警察「シュタージ」によって、絶えず監視されていた。生真面目な「シュタージ」の一人ヴィスラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、上司の命を受け、劇作家のドライマン(セバスチァン・コッホ*1)と、彼の恋人で女優のマリア(マルディナ・ゲデック)を監視することになった。


善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

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ベルリンの壁崩壊5年前、1984年が時代設定されている。例えばソ連におけるKGBなどは、その存在が周知されているが、東ドイツの「シュタージ」については、統一後15年以上過ぎてやっと映画というメディアに登場してきた。社会主義国家の管理体制の宿命というか、恐怖政治にほかならなかった国家が崩壊して始めて、国家規模の犯罪が露呈されるというわけだ。国家犯罪が、個人にどのように作用したかを、『善き人のためのソナタ』は映画的に検証している。


ある時代のある枠組みの中で生きることで、見えない世界がある。『善き人のためのソナタ』の場合は、「壁の崩壊」によって西の自由な世界を知らされる。構造を超えることの困難さをヴィスラー大尉は経験するわけだが、監視する対象、ドライマンとマリアによって「自由な思想」を知らされる。


活動を禁止されていたイェルスカは、「善き人のためのソナタ」という楽譜をドライマンに渡す。その曲をピアノで弾く。ピアノ曲を聴くヴィスラー大尉。会話にでてきたブレヒトの詩集をヴィスラー大尉が盗んできて読み、詩の世界で表現される自由な精神に次第に惹かれて行く。


マリアが常用していた薬から、「シュタージ」に摘発され、ドライマンが西側の雑誌「シューピゲル」に、東ドイツの隠蔽された自殺者について書いた記事のことで、マリアは詰問される。そして、ある悲劇へと向かう。


壁崩壊後の、ドライマンがかつての「シュタージ」であったHGWXX/7こと、ヴィスラー大尉が後半は、ドライマン側の立場に理解を示し、協力してくれたことを知ることになる。重い映画だ。


グッバイ、レーニン! [DVD]

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同じ東ドイツを舞台に描いた『グッバイ、レーニン!』は、悲喜劇的な味わいを持つフィルムだが、『善き人のためのソナタ』と併せて観ることで、東ドイツへの理解を深めることができる。


■『善き人のためのソナタ』補足(2007年6月30日)


善き人のためのソナタ』は、原題が「Das Leben der Anderen」つまり、「他人の人生」あるいは「他人の生活」。これを、邦題が「善き人」とつけたために、<善・悪の次元>で思考してしまう傾向があるけれど、ヴィシュラー大尉は、「シュタージ」に所属しなければごく普通の人生を送ったはずだ。ヴィシュラー大尉にとって、ドライマンは監視の対象としての他人。また、ドライマンにとっても、壁崩壊後に知るヴィシュラーは他人であるが、他人ヴィシュラーによって救われ統一ドイツ後も生き残ることになる。


ドライマンは、統一ドイツ後「シュタージ博物館」で、監視体制中の自分の記録を調べ、「HGWXX/7」の記号を持つ人物が、今は郵便配達をしている寡黙な中年男ヴィシュラーであることを確認する。二人とも、お互いにとって他人の人生だ。しかしながら、本作において、それぞれの眼からみた東ドイツの監視体制は、本来交錯しないはずの二人が他者としてそれぞれの生活細部にかかわることで、監視体制全体を見通すことが可能となった。


「実際の世界」すべてを描くことはできないが、細部を描くことで、体制としての監視国家全体が見える仕掛けになっている、だからこそ『善き人のためのソナタ』はすぐれた脚本であり、優れたフィルムになっているのだ。

*1:『ブラックブック』では難役のナチ将校ムンチェを演じていた。