かつて授業は「体験」であった
松浦寿輝の「かつて授業は「体験」であった」(『UP』2007年5月)を読む。松浦寿輝氏については、初期の映画論『映画n-1 』や『映画1+1 』『ゴダール』などを読んでいるけれど、芥川賞受賞作『花腐し』以降の小説はまったく読む気にならなかった。
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偶然眼にした東大出版のPR誌『UP』の5月号に面白い記事をみつけたので、覚書として記録しておきたい。まず、新学期がはじまり、授業の多くがパワーポントを使用して行われていること、また、学生による「授業評価」に触れ、パワーポントも使用しない反「プレゼン」型にはどうも低い評価がされることなどについて、前ふりとして書かれたあと松浦氏自身の学生時代の授業を回想するという趣向。
松浦氏は、井上忠氏の「ギリシア哲学」の講義について語っている。
何かとてつもない大事な事柄が、他の誰にもできないような仕方で語られるていることだけはわかる。この人の発する言葉一つ一つの背後に、恐ろしいほどの知的労力と時間の蓄積が潜んでおり、膨大な文化的記憶の層が畳こまれていることもわかる。だが、哀しい哉、無知と無学のゆえに、わたしたちにはその内容を具体的に理解することができない。・・・(中略)・・・井上先生の講義から、何らかの知識なり情報なりを受け取ったわけではない。彼の講義は単に、或る決定的な「体験」だった。ほとんど理解できない言葉のシャワーを浴びつづけるという、恐ろしくも爽やかな、それは「体験」だったのである。(p.44)
いわば「体験」としての「講義」だ。たしかに、昔はどの大学でも名物教授がいた。今日、講義の話は解かりやすくなったが、平板化していることは否めない。松浦氏は、井上教授の講義で、突然語りだされたヴィトゲンシュタイン*1のことに言及している。
わたしは思い出す。或る朝井上先生は開口一番、「今日はヴィトゲンシュタインの話をします」と宣言され、一時間にわたってヴィトゲンシュタイン論を繰り広げられた。タレスから始まる古代ギリシアの哲学史を縷々辿りつつあった講義の途中に、突然『論理哲学論考』と『哲学探究』の話を聞くことが、わたしたちをどれほど興奮させたことか。(p.45)
もしこんな講義があれば、私とて嬉々として衝撃を受けたであろう。松浦氏は、さらに、井上教授の講義中にバタイユの小説に触れたり、またある日は、マルティン・ブーバーの『我と汝』に言及する。「授業評価」をしている今日の学生であれば、どうであろうかと疑問を呈している。聴衆が「評価」できる授業など最初から出席する必要などない、と松浦氏は言う。もっともな話だ。
誰もが薄々感じていることだと思うが、畏怖も尊敬も、現在の大学からは消えてしまった。教養とは何か、教養教育はいかにあるべきかなどという議論が何度も蒸し返されているが、わたしに言わせれば話は簡単だ。この畏怖、この尊敬、それが教養なのである。(p.46)
新書の類やグーグルにキーワードを入れて検索できる情報や知識は、畏怖とも尊敬とも、ということは「教養」とも無縁なのだと言っているのだ。松浦氏の見解には傾聴すべきことが書かれている。知のフラット化、知識や情報が瞬時にして得られるという錯覚。「教養」とはひとを「思考」に導くものでなければならない。
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松浦寿輝氏の指摘は、情報化社会の肝要な問題だ。誰もが、簡単に文章を書くことができる時代だ。松浦氏からみれば「教養」を持つ人はいまや誰もいない、ということになる。畏怖することや尊敬に値する人とは、大学の講義などではなく、既に死した賢者の著書にしかない。短いエッセイから、「教養」の畏怖を教わることになった。といっても、松浦氏の著書をいますぐ読むことはないだろう。
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*1:ヴィトゲンシュタインから中村昇『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』(春風社、2007)を途中で放棄していたことを想い出した。「言語」の問題だ、早速読むこと。