カーライルの家


安岡章太郎『カーライルの家』(講談社、2006)読了。「第三の新人」という呼称自体が、第一次戦後派、第二次戦後派、に続く世代であるため名づけられたわけだが、「第三の新人」の作家の皆さんは既に80歳を超えている。現在、庄野潤三氏と安岡章太郎氏あるいは阿川弘之氏が現在も作品を発表している。


ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)

ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)


安岡章太郎の小説は、初期の作品を文庫本で読んだ程度だが、いま、手持ちの『ガラスの靴/悪い仲間』『走れトマホーク』(講談社文芸文庫)で著作目録をみても、昭和28年の『悪い仲間』以来、膨大な著書がある。


カーライルの家

カーライルの家


さて、何はともあれ『カーライルの家』だ。本書には、表題作と「危うい記憶」の二編が収められている。「危うい記憶」は、小林秀雄との付き合いを回想しながら記した小説ともエッセイとも言いがたい作品で、長谷川泰子との同棲時の逸話を興味深く読んだ。


そのへんの小さな借家に、まだ大学生の身分ながら、小林秀雄が女と一緒に暮らしはじめていたのである。・・・(中略)・・・小林さんは、あるとき、ふと長谷川泰子氏のことを、いきなりこんな風に言われた。「ありゃ君、別に悪い人間じゃなかったが、それでも大変な女でね。勿論、一緒になったのは自業自得、すべて僕の責任に違いないんだがね」・・・(中略)・・・小林さんが悩まされたのは、同棲相手の極端な潔癖症というか、無性の掃除好きにあったようだ。(p.10〜12)


安岡氏の文体の味わいといい、小林秀雄の発言の再現といい、読むほどに楽しくなる。あの有名な「モオツァルト」の中で「ト短調シンフォニー」が道頓堀で聴こえてくる逸話は、長谷川泰子が大坂までやってきて、フラメンコを踊ったのを観たことに関係すると安岡氏は推測している。今更、どうでもいい話なのだが、安岡氏の小林秀雄への言及は、ソビエト旅行に及び、記憶をたどって行くことになる。


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)


安岡氏によれば、小林秀雄はたいへんな方向音痴らしいが、ソ連旅行の際、レニングラード(現在のペテルブルク)のホテルに宿泊した朝、小林秀雄の姿がみえないので、同行の佐々木基一とひどく心配をしていた。方向音痴の小林秀雄は平然として「ちょと、ネヴァ河を眺めてきたところさ」というと、一同、唖然としていたと記録している。小林秀雄はネヴァ河にドストエフスキーの思索やプーシキンの詩魂をみていたというのだ。いかにも、小林秀雄らしい挿話ではないか。

小林さんは、旅行中に生じたであらゆる不都合に、「仕方がない、この国は、目下建国の最中で、実に忙しい国なのだから」と、一度も腹を立てなかったが、ソヴィエト・コミュニズム国家建設の前途には、精神的難題が山積していることは予想しておられたのだ。(p.94-95)


標題の「カーライルの家」は、安岡章太郎アメリカ留学時に、ほんとんど毎日のように顔をあわせていた30歳年上のP婦人から、カーライルのことを吹き込まれた。その後、80歳になった安岡氏はロンドンに行く機会があり、カーライルの家を訪ねるわけだが、まず漱石の「カーライル博物館」のなかで、四回も訪問したことに触れる。


倫敦塔・幻影の盾 他五篇 (ワイド版岩波文庫)

倫敦塔・幻影の盾 他五篇 (ワイド版岩波文庫)


また、内村鑑三によればカーライルの『フランス革命史』は、非常に立派な書物であるが、カーライルは、同じ本を二度書いたという。最初原稿を友人(J.S.ミル)に読んで貰うためにあずけたところ、翌朝女中が、あやまって、その原稿を燃やして灰にしてしまったというのだ。ミルは悩んだすえ、このことをありのままに報告した。落胆したカーライルが、一週間ばかりぼんやりしていたが、やがて、もう一度書き直したのが、現在残されている『フランス革命史』だという。


まあ、こんなようなエッセイとも小説とも区別しがたい小品は、やがて安岡氏を「カーライルの家」に導く。カーライル家の暖炉はきれいに掃除されていて、紙くずひとつ落ちていない。

私は何とはなしに、カーライルの原稿の書きほごが丸めてほうり込んでありはしないか、という期待とも、希望ともつかぬ、一種奇妙なスリリングなものを想像しただけのことだった。(p.176)


ということばで終わったいる。「危うい記憶」と「カーライルの家」は、疲れた頭で読むには、大変心地よく、爽やかな読後感を抱いた。たまには、こんな読書もいいものだ。あらためて、「第三の新人」(?)安岡章太郎の文章に感銘を受けたのだった。文章の力に魅せられた。