自壊する帝国


いま一番話題の人物といえば、休職外務事務官の肩書きで、旺盛な執筆を続ける佐藤優であろう。何冊かある本のなかから『自壊する帝国』(新潮社、2006)を読む。同志社大学神学部から大学院神学研究科卒業という異色のノンキャリア外交官。研究テーマは「組織神学」であり、具体的には「チェコスロバキアにおける共産党政権とプロテスタント教会の関係」というものであった。


自壊する帝国

自壊する帝国


佐藤氏は、卒業後ノンキャリアの外務省職員の採用試験に合格し、ロシア語を学ぶためにイギリス留学する。その後、モスクワ大学言語学部人文学系外国人用ロシア語学科に入学する。ここで、ラトビア共和国出身の哲学生サーシャと出会う。佐藤優が交流するのは、主にソ連の反社会主義派のインテリが多く、彼らと真剣に「哲学」や「神学」について議論することで、ロシアという土地のもつ一種独特の風土感覚を身につけて行く。


佐藤氏は、人間としての繋がりを大切にし、波長の合う人物とは徹底して付き合うことになる。外交官として、「情報」収集のためにソ連体制派の人たちとも積極的に付き合い、あくまで人物として信頼できると佐藤氏が確信する場合のみに限られるが、体制派と反体制派の双方バランスよく人脈を作っている。本書は、すべて佐藤氏の目と耳で記録されたソビエト崩壊を内側からみた物語的構成をなしているが、現場にいたためかいわゆる史料を一切用いない。すべてが、佐藤氏の思想的な産物だ。そこにかかるバイアスを考慮して読まないと、佐藤優の世界に知らぬ間に同化してしまう危険性のある書物だ。


ノンフィクション賞を受賞しているが、私は佐藤氏による「私小説」として読んだ。サーシャが、『カラマーゾフの兄弟』の二人の人物・次男イワンと三男アリョーシャを合わせた性格を持つなどという分析は、佐藤氏独特の世界を構築している。とりわけ、本書で教えられたのは、バルト三国エストニアラトビアリトアニア共和国の歴史とソビエトとの関係、抑圧からの開放・独立過程の描写は実に面白い。それに比べて、ソビエト連邦の崩壊の過程、具体的には、ゴルバチョフからエリツィンへの権力移行の過程は、それほど目新しいとは感じなかった。ゴルバチョフソ連という社会主義体制を維持しながらペレストロイカを志向していたことは周知のこと。佐藤氏によるエリツィン像がいまひとつ明確でないのは、間接的に情報を得ていたからで、直接付き合った人物が生き生きと描かれているのに較べて、ゴルバチョフと同様にエリツィンの描写にも精彩に欠けるところがある。


読了に数日をかけたが、読み物として刺激的であり、ロシアを理解する上では貴重な参考書になるだろう。政治史的には、佐藤氏の視点はあくまで自己の眼から視たロシアであり、また、別の解釈の可能性があることが読みながら感じた。


佐藤優の戦略は、情報収集という点では示唆に富む書物であり、ロシアを解読する一冊の書物となるが、もちろん全てではない。常に、反対側の視点からの思想と動きをも想定しなければならない。本書では、ロシア人のウオトカへの執着ぶりや、佐藤氏が描く食べ物の描写に関心を持った。とりわけ以下のウオトカがらみの人間観察に興味を覚えた。

ロシア人にとってウオトカは人間性を調べるリトマス試験紙の意味がある。素面のときと酔ったときで、言うことや行動に極端なギャップがある人間をロシア人は信用しない。(p.132)


本書から何を学ぶべきかは、読者次第だろう。「事実は小説より奇なり」を地で行く内容だが、一方で、常にその裏側はどうだろかと推測したくなる。本書の重要な箇所は、登場人物の会話主体で書かれていることにも、佐藤氏の主観が多く反映されていると考えられる。一次史料としての価値は、歴史が解明するのを待つしかない。佐藤氏の依拠する地点は、プロテスタント神学であることを根底において、読むことが要請される書物だ。


国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて


出版は先だが、『国家の罠』(新潮社、2005)が、時間的には『自壊する帝国』に続くことになる。時系列で内容をみれば、『自壊する帝国』→『獄中記』(岩波書店、2006)→『国家の罠*1となる。


獄中記

獄中記


もし、佐藤優が当初の目的どおりチェコの大学に留学していれば、神学者としての現在があったと予想できるが、人の生涯とは何が契機になるか分からない。しかし、佐藤氏にとって外務省に入省したことが、その後の人生を大きく転換させたことは確かだろう。駐留先が崩壊前のソビエト連邦であったことも、佐藤氏の才能が乱世向きであったことと合致した。


インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)


佐藤氏については、『自壊する帝国』が最も彼自身を知ることができるので、敢えて「私小説」と捉えたが、他意はない。

*1:一部重複するところがあるので、『国家の罠』は『獄中記』を内包すると看做してもいい。