生きさせろ!


ほんの少し前、日本は一億総中流と言われた時代があった。それがいつの間にか、「格差社会」になっている。職場の中にパート職員が一部いた。しかし、派遣職員はいないのが普通であった。正規職員の人員削減に伴い、気がつけば周囲は派遣職員であふれている。バブル崩壊後のことだ。「構造改革」や「規制緩和」が、叫ばれ、「自民党をぶっ壊す」と豪語した小泉純一郎が首相になってから、更に加速した。「自民党」は見事に生き残り、ぶっ壊わされたのは、「社会の安定性」や「人生設計」だった。バブル崩壊後、大量の不良債権を抱え危殆に瀕していた大手銀行は税金の投入によって、息を噴き返し元気になった。いま大企業は「景気がいい」という。就職氷河期がとけ、新卒の就職率が回復してきたと言われる。果たしてそうか?


生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち


雨宮処凛『生きさせろ!難民化する若者たち』(大田出版、2007)では、自らのフリーター体験から、若者世代の「生きにくさ」はどこからきているのかを、現場のリポートによって生々しく報告される。なぜフリーターやニートが増えているのか。「自己責任」ということばで、社会的弱者を切り捨てている現状を告発している。


景気がいいのは、一部の大企業だけであり、しかも正規職員は膨大な残業をこなしている。就職できたからといって、将来が保障されるわけではない。富める者はますます富み、毎日の生活に追われる者は、ますますひどい環境に置かれる。いったいいつの時代の話だ。産業革命の時代ではない、まさしく現代日本の、今の状況だ。


少子化社会になった原因は、バブル崩壊後の「構造改革」や「規制緩和」に原因があることを誰も指摘しない。社会構造の問題なのだ。少子化社会の原因を、若者たちの生き方に責任を負わせているのは間違っている。子供一人に助成金を数万円支給するなどという対症療法では、根本的な解決にはならない。


雨宮処凛の『生きさせろ!』は、これらの疑問に現場リポートという形で実態を、突きつけている。80年代の「フリーターは夢があって自由で楽しく生きる方法」であるかのようなプロパガンダは、大企業にとっての好都合な論理だったことが、ここにきて露呈されてきた。フリーターとは、企業にとって格好の労働力だったのだ。


1995年に日経連がまとめた「新時代の『日本的経営』」とは、労働者を次の3つのタイプにわけ、企業はそれを実践してきた。①長期蓄積能力活用型、②高度専門能力活用型、③雇用柔軟型。問題は「③雇用柔軟型」であり、雇用柔軟とはいつでも首がきれるフリーターや派遣職員の採用により、経費削減を図ることであった。まず、先行する世代はリストラされ、若者世代をフリーター化させた。これが「構造改革」の実態なのだ。


公務員や郵政職員を攻撃対象にすることで、「民営化」という甘言により、企業の論理を優先させた結果が、現在の日本社会の構造なのだ。「構造改革」や「規制緩和」の名のもとに実行された能力に応じた成果主義的労働者評価は、じつはきわめて不安定な社会をつくってしまったことを後世の歴史家が実証するだろう。終身雇用や年功序列*1は、安定した社会を構築していたというアイロニー


雨宮処凛の主張は、まっとうであり、今こそ若者たちが、「生きさせろ!」と声をあげないことには、この国の将来は危うい。

さまざまな企業のことを根堀り葉堀り調べたわけだが、多くの企業がロクでもない。よって、個人的な不買運動をたったひとりで繰り広げているわけだが、それでは生活が成り立たないのだ。見渡す限りの企業が長時間労働や過労死の温床となり、働く人に優しい企業を見つけるのは至難の技だ。(p.281)

状況はあまりにも絶望的だ。が、取材する過程で、多くの希望とも出会った。まずは、フリーター労組をはじめとして、非正規で働く若者の「もう耐えられない!」という叫び声のような形で労働組合が次々と結成されていること。もう、いつ暴動が起きてもおかしくないくらい不満がたまっていて、ニート、ひきこもりの現場からも「もう革命しかない」「一揆を起こそう!」という声が上がりはじめていること。この状況の酷さは自分だけのせいではないことに、多くの若者が気づき始めていること。(p.281)

私たちはすでに、生存の権利すら奪われている。個人の価値が市場原理にしか還元されないという、人間の命よりも経済が優先される社会のなかで。(p.8)


「神の見えざる手」(アダム・スミス)により市場がコントロールされる幻想もない。マルクスを持ち出すまでもあるまい。ケインズの主張した福祉政策も低調になっている。ひたすら格差拡大にむかっているこの国は本当に「美しい」か。フリーターやニートという言葉に偏見を持っている人たちに読まれるべく本書は出版された。


下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち


雨宮処凛氏が元右翼少女であることも大きな説得力がある。新自由主義に対してプレカリアートの連帯運動を。本書は、団塊世代内田樹下流志向』現象を、団塊ジュニア世代から視た裏面(逆説的真実)であり「切実な声」として受け止めたい。


フリーターにとって「自由」とは何か

フリーターにとって「自由」とは何か

*1:完全な年功序列制度をと言っているのではなく能力をも含めて評価するゆるやかな制度としての年功序列は社会の安定をもたらす。