わたしは、ダニエル・ブレイク


ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』(I, Daniel Blakee,2016)は、『麦の穂をゆらす風』に続き、二度目のカンヌグランプリに輝いた作品であり、いかにもケン・ローチらしい労働者を主人公に据え、心臓病のために働けないダニエルは、国の社会保障制度の手続きに苦闘しながらも、己の人間としての尊厳を失わない毅然たる生き方を示した傑作になっている。

ダニエルは、社会保障申請の場で困惑していたシングルマザーのケイティと二人の子どもたちと偶然知りあうと、彼らを励まし、家族としての自立を援助して行く。福祉制度先進国のイギリスで起きている、社会保障制度の役所的な対応のビジネスライクな現実を剔抉している。

心臓を患っていたダニエルは、弁護士と訴訟手続きの打ち合わせの途中、発作に襲われる。突然の死が制度への告発となっている。





一度、監督引退を宣言していたケン・ローチが、次のように述べている。

生きるためにもがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心を持って援助しているか、いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。これに対する怒りが、本作を作るモチベーションとなりました。


SWEET SIXTEEN』までのケン・ローチを以下に記しておく。

【イギリス映画の伝統】
イギリス映画と聞けば、地味でやや暗い雰囲気の作品を思い浮かべるのが一般的であろう。実際、イギリス映画の代表作といえば、キャロル・リ−ド『第三の男』があまりにも有名であり、またメロドラマにしては中年男女の節度ある不倫を描いたデヴッド・リ−ン『逢びき』が直ちに思い出される。60年代はカレル・ライス『土曜の夜と日曜の朝』やトニ−・リチャ−ドスン『長距離ランナ−の孤独』など、中流ないし下層階級の若者を主人公とした体制に反抗的な作品が<フリ−・シネマ>として登場してきた。とりわけ、リンゼイ・アンダ−スン『ifもしも・・・・』が、伝統校における権威主義に対する学生の反抗を描き、時代を鋭敏に捉えたフィルムとして衝撃を与えた。彼らの作品は<怒れる若者たち>世代の代表作として高く評価された。70年代以降のイギリス映画は、単発的に公開されるものの、フィルム的存在感としては少なくとも私達にとって刺激的な出会いとはならなかった。しかしながらこの時期に、多くの映画作家がハリウッドへ移り世界市場へ出てゆくなかで、イギリスに留まり、着実に、平凡な働く人々の日常生活を撮り続けた一人の作家がいた。彼の名は、ケン・ロ−チ。1936年生まれで、労働者階級出身の映画監督であり、現在までに長編27本の作品を撮っている。一部の作品が公開されてはいるが、本格的に日本に紹介されたのは、1996年に『ケス』と『レディバ−ド・レディバ−ド』がはじめてであった。 スペイン内戦を舞台とした『大地と自由』が、1995年カンヌ映画祭で、国際批評家連盟賞に輝き、多くの反響を呼び話題となった。その後、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』で主演のピーター・ミュランがカンヌ主演男優賞を、『SWEET SIXTEEN』が脚本賞を受賞している。



【大地と自由〜希望と絶望の青春映画】
『大地と自由』は、スペイン内戦に参加したイギリス義勇兵の物語である。映画は一人の老人の死から始まる。老人の孫娘が、彼の残した手紙を読み進めるうちに、彼が若い時に理想に燃えてスペイン内戦の反ファシズム運動に参加していたことが分かる。スペイン内戦は、共和国側と反乱軍の戦争という構図にとどまらず、共和国側すなわち反ファシズム戦線内にも内部抗争があった。主人公が参加したのは、欧米各国からの義勇兵で組織された外人部隊である。彼ら義勇兵たちは、純粋な正義感や理想に燃えてファシズム打倒に命をかけた。『大地と自由』は、理想を掲げて最前線で戦い続けていた義勇兵が、共和国側のスタ−リン主義の党利党略によって裏切られ、弾圧され犠牲になった事実を明らかにしてゆく。

イギリスから参加した一人の義勇兵の視点から、人間の尊厳と理想のために闘ったことの意味を問いかけている。ラスト・シ−ンは現代にもどり、孫娘が祖父の葬儀の際、ウイリアム・モリスの言葉を引用する。「誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行いは永遠なり」と。ケン・ロ−チは、映画にイデオロギ−の押しつけをしていない。むろ、『大地と自由』は、イギリス映画伝統のリアリズム的正攻法で撮った、まぎれもなく青春映画の傑作であるといえよう。


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【カルラの歌〜格調高いラヴ・ストーリー】
『大地と自由』に続く作品『カルラの歌』は、政治と恋愛を見事に融合させた、ケン・ロ−チの集大成的フィルムである。舞台は、1987年サッチャー政権下のグラスゴーと、革命が進行中のニカラグア。前半、グラスゴーでバスの運転手をしている青年ロバート・カーライルが、無賃乗車をした異国の女性カルラを助けたことがきっかけとなり、二人は恋愛関係に発展してゆく。カルラは、内戦中の祖国ニカラグアから来た舞踊団の一員であることが分かるけれど、自殺未遂を繰り返す未知の部分が多い女性。青年が会社のバスを勝手に使って、スコットランドの森と湖の美しさをカルラに見せるシークエンスが、見るものに安らぎと感動を与える素敵な光景となっている。青年は言う「ここには何度も来た。頭にきても心が落着く。幸せなときはもっと幸せな気分になる」と。このピクニック以後、二人は急速に親しくなり、はじめてベッドをともにする。その時、カルラの背中にひどい傷跡があることが発見され、ニカラグアでの過去の体験が彼女の精神的トラウマとなっているらしいことが分かってくる。

後半、一転して舞台は革命中のニカラグア。二人は、運命的というか宿命的に、カルラの祖国へたどり着く。イギリスの青年が、そこで見るのは、革命と呼ばれるものの実態と反革命ゲリラ組織に加担しているアメリカCIAの存在であった。一方、カルラの表情は、ニカラグアへ帰ると生き返ったように変貌し、輝かしく美しい女性として、青年をとまどわせる。カルラの深い喪失感の謎は、かつての恋人との再会によって解明されるが、そこには恐るべき戦争の悲劇があり、生なましい傷痕として私達の前に提示される。ケン・ローチは、青年という存在を借りて、ニカラグアの内戦の実態を経験させようとしているかのようだ。実際、青年は、ニカラグア体験を通して、いわば生まれ変わった人間として、スコットランドに帰国することになる。 『カルラの歌』を、たんなるラヴ・ストーリーとして終わらせないところが、ケン・ローチの作家的姿勢であり、ひとりの平凡な労働者の眼で見たニカラグアの内戦を、『大地と自由』におけるスペインと同様に、リアルな現場体験を演出することで、世界の過酷な現実を見せているのだ。


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【まなざしと微笑み】
ケン・ロ−チの初期作品『ケス』は、少年を主人公としたトリュフォ−の『大人は判ってくれない』とともに、学校という制度に代表される大人社会のなかで孤独に生きることを強いられた人間の魂の叫びを、声高にではなく淡々とした自然のリズムで捉えたフィルムである。少年ビリ−は、決して優秀な子供ではないし、また良い子でもない。母親と、炭坑で働く兄との三人家族である。冒頭のシ−ンから、ビリ−は兄との関係がとげとげしいものであり、お互いにいらだちをぶつけあう仲であることが露骨に表現される。学校でのビリ−は、同級生にいじめられ、先生にも馬鹿にされている問題児として救いようのない少年に見えるが厳しい現実社会に立ち向かってゆく。

ある日、授業中に先生に問われ野鳥ケスをどのように飼育したかを、とつとつと説明するシ−ンがある。この時の少年の表情は実に素晴らしく、『ケス』のなかでもっとも感動的な光景でもある。大事に訓練していた愛鳥ケスの死からラストの唐突な終わり方も、見る者を突放すような幕切れであり、実は私達自身が、少年ビリ−にほかならないことを物語っている。

レディバ−ド・レディバ−ド』は、イギリスの福祉制度に誰もが疑問を抱いてしまうほどの、すさまじいフィルムである。中年にさしかかった女性が、母親失格の烙印を押され、生まれる子供を次々と社会福祉局に奪われてゆく実話をもとにしている。映画の冒頭で、ヒロイン・マギ−はカラオケを唄っている。その彼女の悲しみを感じ取ったパラグワイからの亡命者ジョ−ジが、声をかける。この時点で彼女は既に父親の異なる4人の子供を産んでいるが、その子供たちは社会福祉局によって管理されている。マギ−とジョ−ジは二人の子供をもうけるが、二人とも社会福祉局に保護という名目で、取り上げられてしまう。なんという理不尽なことか、本来の福祉の目的から逸脱しているではないか、と見る者は、怒りを覚える。映画のなかのマギ−とジョ−ジは、当局に抵抗するかのように次から次へと子供を産む。もちろん、福祉制度に対する批判が込められているのだが、激越な告発の調子で語るのではなく、ユ−モアをさえ含んだ表現で、淡々と描写する姿勢は『ケス』と同様である。ラストで二人の手が触れ合う瞬間のショットが、きわめて印象深く美しい。


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【視点と距離、その温かさ】
建設現場で働く若者ロバート・カーライルと、歌手志望の女性との愛と葛藤を描く『リフ・ラフ』や、失業して貧乏にあえぎながらも娘のために奮闘する父親を悲喜劇として捉えた 『レイニング・スト−ンズ』にも、映画作家としての決意が表明されている。ケン・ロ−チは、このように一貫してイギリス社会のワ−キング・クラスの人々の生活を対象とし、映像やスタイルに凝ることなく、 独特のユ−モアや、自然主義的リアリズムに徹してきた。対象と一定の距離を保ちながら、淡々とした描写のなかに、やさしさと繊細さをとおして、日常生活の痛みや悲しみを温かいまなざしで表現している。


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アメリカとは移民の国ではないのか?】
アメリカで映画を撮ることは、本来持っていた作家の資質が排除されてしまうという法則を私たちしばしば見てきたけれど、ケン・ローチが、ロスアンゼルスで働く外国人労働者の差別的実態に迫ったのが、 『ブレッド&ローズ』であった。メキシコから不法入国して姉を頼りに、ビルの清掃員として働くマヤたちに、労働組合運動 を指導するサム(エイドリン・ブロディ=『戦場のピニスト』主演)がかかわって行く。アメリカ映画で、このように外国人労働者、しかも人権を無視されたような低賃金と、健康保険も適用されない環境のなかで我慢強く耐えている人々を 対象とした映画はあっただろうか。アメリカのビジネス街のエリートたちの背後には、薄氷を踏む思いで働く場所を確保し、働くためには、賃金のピンハネにも甘んじなければ ならない多くの移民たちがいる。彼らの視点から、ロスという都会の影の部分を捉えているのが『ブレッド&ローズ』である。組合を組織することの移民たち不安と、中間で搾取しながら、組合を徹底的に抑圧する合法的移民たちがいる。この構造的矛盾。 現在のアメリカで、実際にあった実話をもとに物語が構成されている。ヒーローもヒロインもなく、それぞれが個人としての労働者であり、生活者であり、一般大衆なのだが、不法移民であるが故の差別は、容赦されることがない。サムに導かれて、マヤたちは、同じ不法移民たちが労働組合を組織し、団結して自分たちの生活を守ろうとしている仲間と出会うことで、変化して行く。労働者たちによるデモは、結果として勝利に結びつくのだが、友人のために窃盗を犯してしまう マヤは、メキシコに強制帰国させられる。現実は、映画のように甘くない。『ブレッド&ローズ』という映画が、そのことを描いていることのアイロニーケン・ローチにしては、外国で撮るビッグ・バジェットのフィルムだが、いかにもケン・ローチ 的世界を外さない映画に仕上がっていることに見る者は刺激を受けるのだ。

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大人は判ってくれない!】
SWEET SIXTEEN』は、スコットランドの田舎町を舞台に、15歳の少年リアムが、暖かい家族の温もりを回復したいがために、マフィアの手先となり、悲劇的な結末を迎えてしまう、あまりにも 哀しい、大人と子ども思いのすれ違いを描いた傑作になっている。『ケス』には、まだ救いがあった。少年の未来に希望を持つことができた。しかしながら、『SWEETSIXTEEN』には、救いが示唆に留めらているところが、21世紀の子どもたちが置かれて いる環境の凄さを表しているのかも知れない。リアムには、恋人のために刑務所に服役している母がいる。母を見限って、自分の力で生きようとしているシングル・マザーの姉がいる。そして、親友のピンボ−ルがいる。リアムは、母が出所したら、 家族のみで暖かい家庭を築くためにどうしても家が欲しい。そのための金をピンボ−ルと二人で稼いでいる。15歳の少年が母親のために懸命に働いているのだ。しかし、母は出所後、リアムの用意した家に帰るが、翌朝、麻薬をあつかう恋人のもと に戻ってしまう。親と子の気持ちのすれ違いの大きさ、それは大人の都合ではないのか。リアムは、母親の愛人をナイフで刺してしまう。それほど母を想っていたのだ。この親子の心のすれ違いには、全く救いがない。それを、事実として観客の前に突きつけるのが ケン・ローチなのだ。見る者はとまどう。どう解釈すればいいのか、見る者にゆだねられている。



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アルコール中毒の中年男性の悲しい恋愛を描いた『マイ・ネーム・イズ・ジョー』は、テーマとして『SWEET SIXTEEN』と連なっている。しかし、産業の空洞化を背景に、平凡な家庭の中にドラッグが侵入しているリアムを 取り巻く環境がより厳しいことは申すまでもない。リアムは、麻薬中毒の母を助けるために、マフィアの手先となり、ドラッグを売ることの二律背反。ここには、単純に親子の気持ちのすれ違いという次元での解決はありえない。それ以前のフィルムに見られたユーモラスなシーンが 巧妙に回避されていることに気づかなければならない。その意味で『SWEET SIXTEEN』には、観客を突き放した厳しさのリアリズムがある。21世紀の幕開けに撮られたこの作品の意味するところは、単純ではない。幾重にも錯綜した困難な葛藤が、リアムの内面まで規定している構造の問題であることがこの作品に深みを 与えている。

これらの作品の延長上に、『わたしは、ダニエル・ブレイク』の最高傑作があるといえるだろう。


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