騎士団長殺し
村上春樹の新作長編、『騎士団長殺し:第1部 顕れるイデア編』『騎士団長殺し:第2部 遷ろうメタファー編 』(新潮社,2017)は、タイトルの壮大さに較べて、残念ながら、過去の長編を超えるものではなかった。
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主人公の「私」は画家という設定。第1部の「騎士団長」とは、モーツァルト「ジョン・ドヴァンニ」に登場する人物「私」の同級生・雨田政彦の父で著名な日本画家だった。といっても現在老人ホームに住み、画家の住居が空いているため、離婚のため別居した「私」が借用し、住んでいたが、屋根裏部屋で「騎士団長殺し」とタイトルが書かれた雨田画伯の隠された作品を発見した。画伯は戦前オーストリアに留学し洋画を勉強していたが、ヒトラーのオーストリア併合の際、日本へ強制送還されたようだ。オーストリア人の恋人がいたらしいが、収容所で殺された。
画伯が、「騎士団長殺し」を描いた理由は推測がつく。「顕れるイデア編」と題された第1部は、絵画の中の殺される騎士団長のことである。60cmくらいの身長でエドワード・G・ロビンソンに似ていると表現される。イデアとは理念であり、「騎士団長」の形を借りたというわけ。時には、『波止場』のマーロン・ブランドであったり、あるいはリー・マービン風に眉をしかめるらしい。
エドワード・G・ロビンソン
『波止場』のマーロン・ブランド
リー・マービン
ここで、一応、登場する人物を記すと、肖像画家の「私」と別居中の妻ユズ、同級生・雨田政彦、その父親で著名な日本画伯・雨田具彦、画伯の弟・継彦。小田原の雨田具彦邸の隣家に住む白髪が美しい中年の免色渉。のちに肖像画を描くことになる少女・秋山まりえ、まりえの叔母・秋山笙子など。
作中、雨田具彦がナチスのオーストリア併合に遭遇すること、弟・継彦が南京大虐殺に立ち会うことを、弟の自殺に結び付けている。戦時中の雨田兄弟の体験を物語の背景に、立ち上がらせているが、説得力が希薄である。
「私」の数カ月の体験を回顧していることを冒頭に記されているから、回想録であることがまず示されている。読者は、「私」の語り口の巧みさに引き込まれるはずだが、何故かいつもの緊迫感がない。
妻と別れた「私」は東北地方を旅する。これが先回りすればプロローグの東日本大震災に繋がる。ある意味安易な結末となっている。いつもの「穴」を通過する儀式的行為も不自然だ。
「私」の妹コミは生まれながら心臓が悪く、12歳で突然死去している。妹への負い目が、ほぼ同年齢の少女秋山まりえへの関心につながり、肖像画を描くことになる。
いつもの穴は、今回は石棺風の穴を巡るファンタジーが謎のような行動として展開されるが規模が小さく、迫力に乏しい。
スパゲッティとスコッチウィスキー。洋風な料理を、「私」と免色は手軽に作ることができるのは、ハルキ的世界の男たちに共通すること。
率直に言えば、村上春樹の作品で評価できるのは、『1Q84,BOOK2』までで、以後『1Q84,BOOK3』は書く必要がなかった。
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村上春樹の最高傑作は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』であり、『ねじまき鳥クロニクル』と羊男の完結編『ダンス・ダンス・ダンス』が長編ではあげられる。『海辺のカフカ』はハルキストからはベスト1に推されているが、15歳の少年が主人公という設定と内容に齟齬を感じる。
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エッセイ集は『遠い太鼓』『辺境・近境』の二冊であろう。
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なお、『騎士団長殺し』に南京虐殺についての以下の記述があり、
中国人死者の数を四十万人というものもあれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?
もちろん私にはそんなことはわからない。(81頁『遷ろうメタファー編』)
この部分を引用・強調し、一部メディアなど南京虐殺四十万人説を、村上春樹が主張しているというのは、明らかに間違いである。オーストリアにおけるナチスの進攻と並行して、雨田兄弟の歴史との関わりが、その後兄は日本画家として著名になり、弟は自殺していることに関連させている補助線とみるべき箇所である。
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