歳月


茨木のり子さんの遺稿詩集『歳月』(花神社、2007)が刊行された。内容は、亡夫・三浦安信氏への想いを綴った詩集。不在の夫を想う妻の「恋ごころ」が素直に表現されていて、読んでいると、とても清々しい気持ちになる。



たとえば「誤算」と題された詩がある。

とりとめもない会話/気にもとめなかった なにげなさ/それらが日々の暮らしのなかで/どれほどの輝きと安らぎを帯びていたか

応答ものんびりした返事も返ってこない/一人言をつぶやくとき/自問自答の頼りなさに/思わず顔を掩ってしまう/かつて/ふんだんに持っていた/とりとめなさの よろしさ/それらに/一顧だに与えてこなかった迂闊さ(p.80-85)

とりとめもなく、なにげない日常のなかにこそ「輝きや安らぎ」があることを教わる。平凡な日常から脱出したいという願望にこそ、危うさがあることに気づかない私たちに。


茨木さんの詩では、どきりとするような詩「その時」。

セクスには/死の匂いがある
新婚の夜のけだるさのなか/わたしは思わず呟いた
どちらが先に逝くのかしら/わたしとあなたと
そんなことは考えないでおこう/医師らしくもなかったあなたの答え
なるべく考えないで二十五年/銀婚の日もすぎて 遂に来てしまった
その時が/生木を裂くように(p.12-13)


男と女の生なましさとを、不在となった相手に感じる詩「獣めく」も良い。

獣めく夜もあった/にんげんもまた獣なのねと/しみじみわかる夜もあった
シーツ新しくピンと張ったって/寝室は 落葉かきよせ籠り居る/狸の巣穴とことならず
なじみの穴ぐら/寝乱れの抜け毛/二匹の獣の匂いぞ立ちぬ
なぜか或る日忽然と相棒が消え/わたしはキョトンと人間になった/人間だけになってしまった(p.72-73)


「不在」こそが、その存在の大切さ、また真に相手を恋う想いが強くなる詩「恋唄」。

肉体をうしなって/あなたは一層 あなたになった/純粋の原酒(モルト)になって/一層わたしを酔わしめる
恋に肉体は不要なのかもしれない/けれど今 恋いわたるこのなつかしさは/肉体を通してしか/ついに得られなかったもの
どれほど多くのひとびとが/潜って行ったことでしょう/かかる矛盾の門を/惑乱し 涙し(p.70-71)


伴侶の死後、残された者の心せく想いが伝わる詩「急がなくては」。

急がなくてはなりません/静かに/急がなくてはなりません/感情を整えて/あなたのもとへ/急がなくてはなりません/あなたのかたわらで眠ること/それがわたしたちの成就です/辿る目的地のある ありがたさ/ゆっくりと 急いでいます(p.90-91)


亡き夫に宛てた39篇の詩は、一篇・一篇が美しく、読むものはこころ癒される。そんな詩集だ。茨木のり子さんから届いた彼岸からの素敵な贈り物だ。


倚りかからず

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自分の感受性くらい

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思索の淵にて―詩と哲学のデュオ

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