原民喜


梯久美子原民喜ー死と愛と孤独の肖像』(岩波新書,2018)を読む。梯久美子さんの、対象の選択の見事さと資料収集の適確さに、読者は魅了される。前回の、『狂うひと ─「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社,2016)に続き、ノンフィクション作家の面目躍如たる、姿勢に圧倒される。



原民喜の作品は、『夏の花』を随分前に読んだだけだが、原爆・被爆体験の凄絶さと描かれる世界の静謐さに感銘を受けたものだが、その背後にある原民喜の生活にまで思いが到らなかった。梯久美子さんの『原民喜』が再び、読書への意欲をかきたてる。


梯久美子さんは、

本書を著すために原の生涯を追う中で、しゃにむに前に進もうとする終戦直後の社会にあって、悲しみのなかにとどまり続け、嘆きを手放さないことを自分に課し続けた原に、純粋さや美しさだけでなく、強靭さを感じるようになっていった。(274頁)

と「あとがき」に記している。


原民喜への追悼は、埴谷雄高のことばが印象に残る。

原民喜さん あなたは死によってのみ生きていた類ひまれな作家でした そして あなたはさらに その最後に示した一つの形ち 書かれざる文字によって 私達にまた 悲しみの果てからほとばしりでるひとつの 訴へをなしたごとくです (21頁)

『夏の花』は、『原子爆弾』が原題であり、「近代文学」掲載の予定であったが、検閲を回避するために「三田文学」に、改題されて掲載された。冒頭は妻の墓を訪れる光景から始まるが、被爆の記憶は一行あけて二段落目から記述される。


小説集 夏の花 (岩波文庫)

小説集 夏の花 (岩波文庫)

私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あった。八月十五日は妻にとって初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑わしかった。恰度、休電日ではあったが、朝から花をもって街を歩いている男は、私のほかに見あたらなかった。その花は何という名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかった。
 炎天に曝されている墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々しくなったようで、私はしばらく花と石に視入った。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納っているのだった。持って来た線香にマッチをつけ、黙礼を済ますと私はかたわらの井戸で水を呑んだ。それから、饒津公園の方を廻って家に戻ったのであるが、その日も、その翌日も、私のポケットは線香の匂いがしみこんでいた。原子爆弾に襲われたのは、その翌々日のことであった。

 私は厠にいたため一命を拾った。八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。前の晩二回も空襲警報が出、何事もなかったので、夜明前には服を全部脱いで、久し振りに寝間着に着替えて睡むった。それで、起き出した時もパンツ一つであった。妹はこの姿をみると、朝寝したことをぶつぶつ難じていたが、私は黙って便所へ這入った。
 それから何秒後のことかはっきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた。私は思わずうわあと喚き、頭に手をやって立上った。嵐のようなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。手探りで扉を開けると、縁側があった。その時まで、私はうわあという自分の声を、ざあーというもの音の中にはっきり耳にきき、眼が見えないので悶えていた。しかし、縁側に出ると、間もなく薄らあかりの中に破壊された家屋が浮び出し、気持もはっきりして来た。それはひどく厭な夢のなかの出来事に似ていた。・・・(『夏の花』7−9頁)


『夏の花』の読編『廃墟から』は、被爆体験の続きが記され、『壊滅の序曲』には、1947年4月に広島に戻った正三が、家族とともに8月6日8時15分の40時間前までが、綴られる。

暑い陽光が、百日紅の上の、静かな空に漲っていた。……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。(『夏の花』114頁)


『夏の花』三部作は「原爆被災時のノート」に記された

我ハ奇蹟的ニ無傷
ナリシモ、コハ今後生キノビテ
コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命
ナランカ


の思いで、<妻の死>とともに、書き残すべき大事なこととなり、『原子爆弾』(『夏の花』)に結晶したのだった。


原民喜の文章は、透明感に溢れている。あまりにも清らかなこころ。亡妻への愛、とりわけ妻・貞恵の死以後は、全ての文章・詩は妻に捧げられている。「美しい死」というものがあるとすれば、それは原民喜の自殺にほかならない。

梯久美子原民喜』に導かれ、原民喜の文庫本を読む。

原民喜全詩集 (岩波文庫)

原民喜全詩集 (岩波文庫)


詩『原爆小景』から引用する。

コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス

永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ

原民喜の詩や小説を前にして、凡人が発する言葉もない。



『苦しく美しい夏』ほか、『美しき死の岸に』では、妻への愛がかたられる。

ある朝、彼は寝床で、隣室にいる妻がふと哀しげな咳をつづけているのを聞いた。何か絶え入るばかりの心細さが、彼を寝床から跳ね起させた。はじめて視るその血塊は美しい色をしていた。それは眼のなかで燃えるようにおもえた。妻はぐったりしていたが、悲痛に堪えようとする顔が初々しく、うわずっていた。妻はむしろ気軽とも思える位の調子で入院の準備をしだした。悲痛に打ちのめされていたのは彼の方であったかもしれない。妻のいなくなった部屋で、彼はがくんと蹲り茫然としていた。世界は彼の頭上で裂けて割れたようだった。やがて裂けて割れたものに壮烈が突立っていた。(『原民喜戦後全小説』209頁)

「世界は彼の頭上で裂けて割れたようだった。やがて裂けて割れたものに壮烈が突立っていた」とは、のちの被爆体験が重なる。


原民喜の作品は、岩波文庫の二冊『小説集 夏の花』『原民喜全詩集』、講談社文芸文庫版『原民喜戦後全小説』ほかがあるが、「青空文庫」に多くの作品が電子化されている。



梯久美子の作品

散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)

散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

百年の手紙――日本人が遺したことば (岩波新書)

百年の手紙――日本人が遺したことば (岩波新書)