加藤周一氏の逝去


今朝の新聞により、加藤周一氏の訃報を知る。戦後日本の最後の知識人だった。いわゆる偉大なる知識人は、加藤氏の死によって不在となった。戦後の知識人として代表的な丸山眞男埴谷雄高吉本隆明などが直ちに想起されるが、吉本氏のみいまだ健在・現役であり、鬼籍に入られた人で私にとって、丸山眞男埴谷雄高、それに小林秀雄に次いで、やはり加藤周一氏ということになる。享年89歳。


続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)

続 羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 690)


加藤周一氏といえばまずは「マチネ・ポエティック」の中村真一郎福永武彦との共著『一九四六・文学的考察』(1947)だろう。以後は、『雑種文化』(1956)が代表作となった。自伝『羊の歌』(1968)が岩波新書としてはよく読まれたのではないだろうか。


1946・文学的考察 (講談社文芸文庫)

1946・文学的考察 (講談社文芸文庫)


大佛次郎賞を受賞した『日本文学史序説』(1975、1980)と、林達夫の跡を継いだ『世界大百科事典』(平凡社)の編集が一番に評価されるのではないだろうか。近年では、「朝日新聞」に月一回連載されていた「夕陽妄語」が、バランスのとれた文明批評であり、比較文化論であったり、またあるときは「論壇時評」として機能した。加藤氏の著作の集大成として、平凡社刊行の『加藤周一著作集』がある。


日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈下〉 (ちくま学芸文庫)


しかしながら、バランスのとれた知識人として博覧強記の紳士であり、政治論争などはほとんどなかったのではないか。同じ戦後知識人として、右から左から常に批判の対象にされ続けている丸山眞男とは、この点で決定的に異なる。いわば醒めた眼で、世界的視野から物事を見ていた、そんな印象が強い。


私にとっての20世紀

私にとっての20世紀


私自身は、加藤氏の愛読者ではなかった。丸山眞男を読むときの力の入り方、あるいは埴谷雄高の世界へ近づくときの畏怖感のようなものは、加藤氏からは感じとれなかった。むしろ、穏やかに知識の伝達を受ける、物事の道筋を教わる、そのような師のタイプだった。いってみれば冷静に読書することができる思想家・文化史家だった。


加藤周一著作集 (1)文学の擁護

加藤周一著作集 (1)文学の擁護


つい最近まで連載されていた「夕陽妄語」が、時々休載となる場合が増えてきたことが気になっていた。89歳で現役思想家という存在自体が稀有なことであろう。もちろん、レヴィ=ストロースは現在100歳で現役であるから、最年長というわけではないけれど、80歳を過ぎて時事問題に常に係わり続けるというのは、並みの力量ではできない。頭脳明晰な状態が、死の直前まで維持されたことでも特筆すべき知識人といえるだろう。


日本その心とかたち (ジブリLibrary)

日本その心とかたち (ジブリLibrary)


いま、手元にに『日本その心とかたち』(スタジオジブリ、2005.7)、『夕陽妄語8』(朝日新聞社、2007.5)、『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007.3)の三冊がある。「序文」や「あとがき」それに目次を眺めたのみの積読状態であったのを、書棚から取り出してきたものだ。

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(『日本文化における時間と空間』p.2-3)


日本文化における時間と空間

日本文化における時間と空間


この言葉に加藤氏の冷静で論理的な分析的思考のすべてが収斂されている。毎月の「夕陽妄語」が楽しみであったが、永遠に続くわけがない。加藤周一氏のご冥福を祈り、合掌。


夕陽妄語 8

夕陽妄語 8

日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)

日本文化のかくれた形(かた) (岩波現代文庫)

高原好日―20世紀の思い出から

高原好日―20世紀の思い出から

文学とは何か

文学とは何か

同時代人丸山真男を語る (転換期の焦点 (6))

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