武士の一分


山田洋次藤沢周平時代劇三部作、『たそがれ清兵衛』(2002)『隠し剣 鬼の爪』(2004)に続く『武士の一分』を観る。海坂藩下級武士の日常生活のつつましさを描きながらも、妻(壇れい)を陵辱された新之丞(木村拓哉)が、武士の面目をかけて島田(坂東三津五郎)と闘う。


新装版 隠し剣秋風抄 (文春文庫)

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藤沢周平作品ではお馴染みの海坂藩。毒見役の新之丞は、妻と中間(笹野高史:好演)と三人で平凡で平和な生活を送っていた。その平和な日々が変化したのは、新之丞がある日の毒見で笠貝の毒にあたり意識を失ったことによる。藩主が食する直前に最悪の事態は回避された。ところが、新之丞はそのため盲目となり、日常生活が一変する。深く長い眠りから覚める木村拓哉の表情による演技が自然体でいい。スマップの気障な男ではなく、盲目の剣士を演じる凛々しい武士になっていた。俳優としての成長をみた。


毒見役が、その役目を果たせないとなれば30石扶持から減石されるのが自然だが、不思議と30石に留めおかれた。妻・壇れいは親族に呼び出され、30石扶持の家禄を減らされないために、藩の重臣にお願いするよう要請される。幼いときからの知人・番頭の島田に依頼し、その代わりに不倫を強要される。壇れいは、夫が現状の石高にとどめ置かれたのは、島田のおかげと思い込んでしまう。


妻の不倫を知った新之丞は、ひたすら剣を磨き、島田への復讐を誓う。道場の師・緒形拳に相手を請い、木刀で練習試合をする光景が、その迫力に圧倒される。緒形拳の貫禄と、木村拓哉が剣道で鍛えた腕前をみせてくれるいいシーンだ。真剣で戦う以上、余程の理由があるだろうと聞き出す緒形にも、木村拓哉は黙して語らない。


主人から決闘の文言を言いつけらえた笹野高史は、坂東三津五郎に伝える。盲人だからといって油断なきようと付言する。そして、河原におけるクライマックスを迎える。この決闘シーンは見応え十分だが、筋を追うのはここまでにしておこう。


たそがれ清兵衛 [DVD]

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山田洋次藤沢周平三部作の中では、一番の出来だろう。正直にいって涙腺が何度か緩んでしまった。原作が短編であり、それを映画的に膨らませているところも良く作り上げている。例えば、毒見役の責任者である小林稔侍の役は、原作にはない。仕事ではうつらうつらしていたが、事件の責任をとり切腹するシーンは凄絶だ。隣室には、家族や親族が黙って控えている。小林稔侍は凛とした表情で般若心経を唱えたあと、静かに腹を切る。隣室から嗚咽が聞こえてくる。切腹という儀式が、260年という平和な江戸時代の武士の倫理だったことが良くわかる。


隠し剣 鬼の爪 [DVD]

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山田作品には、どのフィルムにもユーモアが溢れている、と同時に悲哀が漂う。とりわけ、時代劇三部作は、幕藩体制の江戸時代の厳しさの中にも、つつましく生きる人々を暖かい眼差しで見つめた作品になっている。


男はつらいよ [DVD]

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山田洋次は、『男はつらいよ』48作で一種大河小説のような傑作を残した。マンネリといわれながらも、時代を切り取る眼はしたたかだ。現在、NHKで放映されている『男はつらいよ』を観ていると、如何に一作・一作工夫が凝らされているかが、よく分かる。


家族 [DVD]

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初期の頃から、ハナ肇を主人公に迎えた『馬鹿−』シリーズ、『家族』(1970)や『故郷』(1972)、『幸福の黄色いハンカチ』(1972)、『遥かなる山の呼び声(』(1980)、『学校』(1993)を第一作とするシリーズ4本。そして『男はつらいよ』(1969)にはじまる「寅さん」シリーズでは、浅丘ルリ子がリリー役を演じた『寅次郎忘れな草』(1973)『寅次郎相合傘』(1975)『寅次郎ハイビスカスの花』(1980)、今は亡き太地喜和子がマドンナを演じた『寅次郎夕焼け小焼け』(1976)等、優れた作品が多い。渥美清の他界のため、シリーズは幕を降ろした。亡くなって始めて渥美清の俳優としての存在の大きさが見えてきた。


幸福の黄色いハンカチ [DVD]

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山田作品の根底には、小津安二郎木下恵介に代表される松竹大船調と呼ばれるホームドラマの伝統がある。松竹という撮影所システムが構築したおおきな財産を継承している。家族や故郷への思い入れ、大切さが切実に伝わってくる。失われようとしているからこそ、すべての山田作品から気品が感じられるのだ。それにしても、『武士の一分』は、何度も落涙しながら観て、きわめて爽やかな味わいが残る名作である。笹野高史には、助演男優賞を贈りたい。


学校 [DVD]

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