憲法九条を世界遺産に


日本国憲法の改正論議が活発ななかで、どちかといえば改正派が強くなりつつある状況で、九条問題に絞りしかもそれを「世界遺産」として評価するという提案のもと、爆笑問題太田光が、宗教人類学者で思想家の中沢新一と対談した新書『憲法九条を世界遺産に』が熱い。


憲法九条を世界遺産に (集英社新書)

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)


憲法九条を世界遺産に」という発想は、太田光によるものである。TV番組「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」における太田氏の発言は、単なるお笑い芸人を超えていると感じていた。実際、本書を読めば、中沢新一の思想よりも太田光の大胆で柔軟な発想には舌を巻く。

太田 僕らお笑いの人間は、面白いか、つまらないかを一つの判断基準にしています。漫才で、芸人がどれだけ頑張ってみせても、人が笑わなければ何の価値もない。面白いか、つまらないのか、そのお笑いの判断基準でいえば、憲法九条を持っている日本のほうが絶対面白いと思うんです。これは確信できます。・・・(中略)・・・
憲法九条というのは、ある意味、人間の限界を超える挑戦でしょう。たぶん、人間の限界は、九条の下にあるのかもしれない。それでも挑戦していく意味はあるんじゃないか。/いまこの時点では絵空ごとかもしれないけれど、世界中が、この平和憲法を持てば、一歩進んだ人間になる可能性もある。それなら、この憲法を持って生きていくのは、なかなかいいもんだと思うんです。/僕らが戦うべき相手が何なのかわからない。人間のつくり出した神という存在なのかもしれないし、人の心に棲む何かなのかもしれない。その何かが、いつも人間に突きつけてくるわけです。人間は、しょせん死んでいくものだ。文明は崩壊していくものだと。たとえそうであっても、自分が生まれて、死ぬまでは、挑戦していくほうにベクトルが向いていないと面白くないと思うんです。(p.74)


敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人


太田氏は、「日本国憲法世界遺産に」という考えがおきたのは、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を読んだときで、決して起こりえない偶然が重なりあって突然変異のようにできたものだと理解したときからだと言う。

太田 憲法九条は、たった一つの日本に残された夢であり理想であり、拠り所なんですよね。どんなに非難されようと、一貫して他国と戦わない。二度と戦争を起こさないという姿勢を貫き通してきたことに、日本人の誇りはあると思うんです。他国からは弱気、弱腰とか批判されるけれど、その嘲笑される部分にこそ、誇りを感じていいと思います。(p.78)


中沢新一は、「日本国憲法」は理想を目指したアメリカ人と敗戦から二度と戦争を起こすまいと決意した日本人の「奇蹟の合作」であると解説している。確かに、日本人が独自に作った憲法ではないが、戦争がいたるところに遍在する世界の中で、日本のみが夢のようなおよそ非現実的な平和憲法を持っていることの貴重さは、強調していいことだ。


この対談では、あきらかに太田氏が、偉大な思想家・中沢新一を圧倒している。「世界遺産へ」という太田氏の発想を根拠づける中沢氏の意味づけは、以下のとおりとなる。

憲法九条に謳われた思想は、現実においては女性の産む能力がしめす生命の「思想」と、表現においては近代的思考に先立つ神話の思考に表明されてきた深エコロジー的「思想」と、同じ構造でできあがっていることになる。どこの国の憲法も、近代的な政治思想にもとづいて書かれたものであるから、とうぜんのことながら、そこには生命を産むものの原理も、世界の非対称性をのり超えようとする神話の思考なども、混入する余地を残していない。ところが、わが憲法のみが、その心臓部にほかのどの憲法にも見いだされない、異常ならざる原理をセットしているのだ。(p.169)


お笑い芸人であり、政治家を目指す考えなどなく、あくまで面白いかどうかというお笑いの基準から、「憲法九条を世界遺産へ」と主張する太田光は過激な芸人にみえるけれど、その根底には、豊富な読書に支えられた「思想」がある。たかがお笑い芸人とあなどるべからず。また、芸人が政治的発言をなどと批判する前に、21世紀の私たちが置かれている状況を相対的・構造的に視ることだろう。本書は、爆笑問題太田光が、思想家・中沢新一と語り合った、きわめて刺激的で、読むものに思考を強いる稀有な新書本である。お勧め本。


対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

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