立喰師列伝(原作)


映画版を観るとき、未読であった小説版『立喰師列伝』は、押井守の思惟方法が解かる内容になっている。映画『立喰師列伝』の原作にして、いわば押井守の原点であり、思想的集大成ともいえる傑作だ。


立喰師列伝

立喰師列伝


虚構の著者・犬飼喜一による架空の著書『不連続線上の系譜』に依拠しながら、戦後思想史と形容しても過言ではない出来栄えに驚いた。

「月見そば」をめぐる言説について、3つの可能性に言及する仮説は秀逸。

1.伝承を事実とし、月見の銀二なる伝説的立喰師が「月見そば」をネタにゴトを仕掛ける際、これに真実味を強化するために古典を援用し「説教」の枕言とした。これが巷間に流布された人口に膾炙することで「月見そば」を形容する際の普遍的な修辞へと変化し定着していった、とする可能性。
2.「割り入れ」から「後かけ」への移行過程における混沌期に、月見の銀二なる立喰師が後者の繊細さを称揚してこの喩を用い、「月に叢雲」の言葉からの文学的連想が「玉子そば」という種物を「月見そば」として固定した。いわば意識が存在を規定した、とする可能性。
3.「割り入れ」と「後かけ」の並存期に、その僅かな調理手順の相違に基づく見掛け上の差違が高度な商業的要請を満たし得た事実、その内実の空虚さを糊塗すべく主客の無意識の共謀によって動員された文学的修辞が「月見そば」なる名称と、日本的メンタリティから直ちに連想される「月に叢雲」なる喩を生み、これを固定し、神話化するために「月見の銀二」なる伝説的立喰師の伝承が生まれた。つまり存在が意識を規定した、とする可能性。(p.19-20)


「意識が存在を規定する」のではなく「存在が意識を規定する」。どこかで読んだ言い回しだ。

経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2)

経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2)

「ケツネコロッケのお銀」の喪失感は、吉本隆明の詩「分裂病者」の引用で補完している。

吉本隆明全詩集

吉本隆明全詩集

「哭の犬丸」は、「群れることによって自己実現を希求する存在」と規定される。


「冷やしタヌキの政」は、1969年を頂点とする運動の中で「自己否定」を己の生きたかとしたため、警察官に殺害される。「立喰い師」で唯一の被害者となった。

月見の銀二が丼の中の景色として予見してみせた再出発の幻影は、ケツネコロッケのお銀が抱いた風景の中で挫折を約され、破綻をもって自己証明に替える犬丸の自虐的ゴトを経て、冷やしタヌキの政の自己処罰として早くも完結を見ることになった。立喰師たちが背った戦後という十字架−平和と民主主義の理念が終焉を迎えて後、彼らの系譜はいかなる道を辿ることになるのか。(p.151)


その後、「牛丼の牛五郎」、ファーストフードの時代に入り「ハンバーガーの哲」や、戦後的遊園地から乖離した東京ディズニーランド*1で敢えて持ち込みで食べる「フランクフルトの辰」が登場する。


村上春樹全作品 1979?1989〈8〉 短篇集〈3〉

村上春樹全作品 1979?1989〈8〉 短篇集〈3〉


ハンバーガーの哲」の章に引用される村上源一郎『マツク攻撃』は、もちろんあの村上春樹パン屋襲撃』のパロディにほかならない。

月見の銀二に端を発した戦後の立喰師の系譜は、ハンバーガーの哲に至って実質的に途絶え、牛五郎の示したプロフェッショナリズムの定立を発条(バネ)としてテロリズムに向かうことになる。そしてそれが、偶発的事例でなく、必然であったことを証明するかのように、脱戦後派立喰師によるファーストフードとの闘争は続発を続ける。そして当然のことながら、そのゴトは商品たる調理品を主軸としつつ、しかしその本質において、その流通形態や商品としての付加価値との闘争という側面を併せ持たざるを得ない。(p.217)


さて、インド人を偽装してカレースタンドでゴトに及ぶ「中辛のサブ」が戦後的立喰師系譜から離脱した個人的存在として最終章を飾る。

アジアから帰還した者たちの営為の真価は取り敢えず措くとしても、その多くが社会的復帰を果たし得ず、人の上に立つを得ず、人の下に立つを得ず。路辺に倒るゝに適す、の類であったと想像する。/中辛のサブに関して言えば、そのゴトの本質が高度経済成長を経て変わり果てた母国の現状へのルサンチマンであったという証拠は存在しないが、それを否定する根拠もまた存在しない。(p.265)


このような押井守の作品を「小説」と形容することができるのか定かではないが、「立喰師」が「詐偽によって自己実現を為すところに本質がある」とすれば、押井守の『立喰師列伝』とは、「立喰師」なる虚構を捏造し、あたかも彼らが存在したかの伝説を流布させる行為そのものが押井守の「自己実現」にほかならず、単なるアニメ映画監督ではないことを、立証しているといえよう。

*1:押井守によれば、非戦後的遊園地としての東京ディズニーランドには、何でもあるが、実は何もない。