私家版・ユダヤ文化論
「ユダヤ人問題」とは永遠の謎だ。内田樹『私家版・ユダヤ文化論』を読むとますます「ユダヤ人問題」が、解らなくなる。ともあれ、内田氏の言説に従ってみよう。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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「ユダヤ人とは何でないのか」
第一に、ユダヤ人というのは国民名ではない。
第二に、ユダヤ人は人種ではない。
第三に、ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない。
ふむふむ。そういえばイザヤ・ベンダサン=山本七平『日本人とユダヤ人』というかつてベストセラーとなった本があった。カール・マルクスにも『ユダヤ人問題によせて』(岩波文庫)*1がある。
- 作者: 山本七平
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内田氏は、サルトルとレヴィナスを援用しながら、「ユダヤ的知性」について、次のように言及する。
サルトルによれば、「ユダヤ人とは他の人々が『ユダヤ人』だと思っている人間であり、レヴィナスによれば、それは「神が『私の民』だと思っている人間」のことである。この二人のユダヤ人定義はまったく似ていないようであるけれど、ひとつだけ共通するとらえかたがある。/それはユダヤ人とはある種の遅れの効果だということである。/ユダヤ人はつねに自己定位に先立って、先手を取られている。サルトルによれば、ユダヤ人は自分が何者であるかを、主体的な「名乗り」によってではなく、反ユダヤ主義者からの「名指し」によってしか知ることができない。レヴィナスによれば、聖史上のユダヤ人が口にする最初の言葉は「私はここにおります」(Me voici)という応答の言葉である。/どちらの場合も、ユダヤ人は「すでに名指され」「すでに呼びかけられたもの」という資格においてレヴィナスの述語を借りていえば、「始原の遅れ」(initial apres-coup)を引きずって、歴史に登場する。/そのつどすでに遅れて世界に登場するもの。/それがユダヤ人の本質規定である。(p.188-189)
- 作者: J‐P.サルトル,Jean‐Paul Sartre,安堂信也
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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ユダヤ人は自分たちが「遅れて世界に到来した」という自覚によって、他の諸国民との差別化を果たした。私(内田)はそう考える。・・・ユダヤ人はむしろ、私たちが「被造物」としてこの世界に現に到来したという原事実から出発して、「造物主」が世界を創造したという「一度として現実になったことのない過去」を事後的に構築しようとしたのである。(p.214)
実際に罪を犯していないのに有責性がある、ユダヤ人とは「その民族史のどこかで『不条理』を引き受けられるほどの思考の成熟を集団成員へのイニシエーションの条件に課」したと、内田氏は結論づける。
さて、冒頭にもどり「ユダヤ人」から連想される名詞は、以下のように羅列される。
旧約聖書、アウシュビッツ、イスラエル、パレスチナ難民、中東戦争、ネオコン、ドレフュス事件、カバラー、タルム−ド、『シオン賢者の議定書』『アンネの日記』、『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』、スピノザ、カール・マルクス、グルーチョ・マルクス、フロイト、レヴィナス、レヴィ=ストロ−ス、デリダ、アインシュタイン、チャップリン、ウディ・アレン、ポ−ル・ニューマン、マーラー、アシュケナージ、スピルバーグ、ポランスキー、・・・(p.18)
以上の名詞や人名から、ユダヤ人に課せられた「不条理」という言葉が、納得できるような気がする。むむっ!
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: せりか書房
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