オーソン・ウェルズ


第三の男 [DVD]

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【聖なる映画との訣別】
語学教材やウイスキーのCMで知られていたオーソン・ウェルズは、『市民ケーン』と『第三の男』であまりにも有名であり、誰もが彼の威厳に満ちた顔や、肥大した肉体を想起するだろう。『市民ケーン』(1941)は、映画史上のベスト・ワンにランクづけられ、映画講義のテキストとして使用されている。モンタージュ技法や、パン・フォーカスなどを駆使しながら、時間を解体し再構成することでケーンという人物の、成功したように見える人生が悲劇にほかならなかったことを、斬新な語り口によって見る者に衝撃を与えた画期的なフィルムであった。 

市民ケーン [DVD]

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たとえばこんなシークェンスがある。ケーンと妻の朝食風景。二人の関係が数年間でどのように変化したかを、朝食シーンの同じカットの繰り返しによって見せるシニカルで辛辣な手法は、卓抜なアイデアの典型であろう。『市民ケ−ン』の細部をとりあげればきりがないほど工夫が凝らされている。映画の中に天井が映されるのは、この作品が初出であり、『審判』(1962)に至っては、Kが勤務する会社のオフィス全体の天井が堂々とキャメラに収まっている。 映画史には、<聖なる映画>の系譜と呼べる作家たちがいる。カール・ドライヤーロベール・ブレッソン小津安二郎など。一方、<呪われた映画>の系譜にオーソン・ウェルズジャック・タチがいる。 ウェルズは、敢えて聖なる映画の裏がえされた世界、ネガティブな世界、人生のダークサイドに挑戦した作家といえるのではなかろうか。人生の負の側面、老いることや、裏切りなどを好んで描いた。

審判 [DVD]

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市民ケーン』の主人公、『黒い罠』(1958)の悪徳警部、『審判』の不良弁護士、過去の秘密を隠蔽しようとするアーカディン氏、道化で大酒飲みのフォルスタッフ。ウェルズは彼らを演じることで、自らのモラル感覚を逆説的に提示した。

黒い罠 [DVD]

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【B級犯罪映画を映像でみせる】
ウェルズはB級映画を、嬉々として撮る。『黒い罠』は、冒頭のワン・シーン・ワンカットだけで、十分に映画史上にその名を留めるであろう。ある人物が乗用車に爆弾を仕掛けて立ち去る。入れ替わりに、中年の紳士と若い女性がその車に乗り込み、アメリカからメキシコへの国境を通過する。その様子をクレーン撮影でキャメラが俯瞰気味に移動しながら捉えてゆく。同時にチャールトン・ヘストンジャネット・リーの新婚夫妻が徒歩で、ゆっくり国境を越える。二人は管理事務所の男と会話を交わし、一瞬、車と夫妻は同じ画面に収まる。乗用車が国境を越えて画面から消えると、大音響とともに爆破がおきる。ここまでを、ワン・シーンで撮っている。物語の導入部分として、実に刺激的な今や伝説となったオープニング。 国境の田舎町にポツンと建つモーテル。そこで夫を待つジャネット・リーは、二年後の『サイコ』を連想させる。気の弱い管理人役を、『激突』のデニス・ウィーバーが演じているのも懐かしい。悪徳警官を、ウェルズ自らが醜悪なメイクをして見せてくれる。ただ安易に、善悪・正義をきめつけていないところがウェルズらしい。

『上海から来た女』(1948)では、ウェルズは鏡の部屋で、リタ・ヘイワースの本心を知る。彼女は鏡に写る夥しい数の虚像にむかって拳銃を発射する。鏡の部屋のシーンは、その後多くの作品で引用され模倣された。*1このB級フィルム・ノワールは、ハワード・ホークス三つ数えろ』のように、要領をえないストーリー展開で、そのことが逆に繰り返して見ることの快楽を享受できる特権となっている。


シェイクスピア脱構築
 ウェルズはシェイクスピアに傾倒する。『マクベス』(1948)『オセロ』(1952)『フォルスタッフ』(1966)の三作品が残されたが、なかでは『オセロ』が突出した出来栄えで、風格を感じさせる一品。『オセロ』は、冒頭にラスト・シーンを持ってくる意表をついた構成をとっている。オセロの顔のクロース・アップで画面がフェイド・インし、妻デズデモーナの葬儀が執り行われている光景から始まる。他方では、イアーゴが高い塔に吊された鉄の檻の中から、葬列を見下ろしている。嫉妬による悲劇を、スピーディに一気に結末へもってゆくのは、ウェルズ特有の手法である。ベネツィアとモロッコでロケを中心に撮影されたモノクローム画面が美しく、光よりも影を好んだウェルズらしい陰影に富んだ艶のあるフィルムになっている。 
さらに、シェイクスピアのいくつかの戯曲から構想した『フォルスタッフ』が、身体的レベルでの到達点であるといえよう。悪徳騎士でありながら、人気者であるこのキャラクターこそウェルズ的世界を体現する存在。のちのヘンリー五世に裏切られたフォルスタッフが、棺に納められて荒野に出てゆくラストシーンでは、政治権力が倫理を抑圧する非情さを無言の俯瞰ショットであらわした。



【未完であることの栄光】
 ウェルズは、ひたすら撮影し続ける。そのため、完成した作品以上に撮影されたまま放置されているフィルムだの、編集を途中で放棄した作品だの、あるいは企画のみ語られている『リア王』までを含めると、完成された映画以上のリストが作成される。 『黒い罠』の完全版や『オセロ』の修復版、『イッツ・オールトゥルー』(1993)の復元版の公開を見てきた私達は、撮影を終了している『風の向こう側』の完成版の公開を期待してもいい。実際、『MR.アーカディン』もウェルズの意図に沿った形に復元作業が進められていると聞く。ウェルズ自ら、本人の作品として認めていない『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)の復元も夢ではないだろう。 このように、オーソン・ウェルズの全貌は、一九八五年の他界後20年を経過しても明らかではない。ウェルズに関して言及することは、部分から全体を類推する作業でしかない。
市民ケーン』のみでウェルズを語ることを慎むために、全作品の回顧上映が期待されるけれど、オーソン・ウェルズとは、未完であることを自らの宿命と自覚していた作家にほかならない。故に、永久に未完のフィルムとして放置されることを願っているのかも知れない。

偉大なるアンバーソン家の人々〈ニューマスター版〉 [DVD]

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*1:ブルース・リーを一躍有名にしたあの『燃えよドラゴン』(1973)は、『上海から来た女』の鏡のシーンの引用に成功した好例であろう。