ある子供


生まれたばかりの赤ん坊を抱いた必死の表情の少女・ソニア。自分の部屋に帰ると、そこには、恋人ブリュノから部屋を借りている友人たちがいる。自分の家にも入れないソニアは、何とかブリュノを探し出す。冒頭から緊迫した映像に引き込まれる。ブリュノは、恋人との間に子供ができたことにも無反応で、ソニアが市役所へ出生届を出すときに付き添い、自らサインをするが、どうも父親としての自覚がないようだ。その日暮らしで、小さな犯罪、かっぱらいなどで日銭かせぎをしている。


ベルギーの兄弟監督、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌが、いずれもカンヌで受賞した『ロゼッタ』(1999)、『息子のまなざし』(2002)に続いて撮った『ある子供』(2005)は、子供たちが大人になることの困難さ、失業率が20%と高いベルギーの若者たちの自立を描いているが、キャメラは、ほとんどがブリュノやソニアの視線で捉えられており、一種ドキュメンタリーのような作風である。


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ある日、ブリュノは子供を売ることができる情報を聞き出す。ソニアが失業手当を受け取るための長い行列に並んでいる間に、乳母車で赤ん坊を散歩に連れて出て、そのまま仲介者に売り渡してしまう。ソニアは、子供を売った事実を知ると、その場に卒倒してしまう。救急病院に入院したソニアを見て初めて事態の深刻さを知るブリュノは、なんとか子供を買い戻すけれど、もはやソニアはブリュノのを受け入れない。あせるブリュノは、少年を誘いバイクで路上でひったくりをするが、車に執拗に追い詰められ、ついに少年が警察に逮捕されてしまう。


ブリュノとソニアは、20歳と18歳で、二人のじゃれあうような関係は、幼いところもあるけれど、二人がなぜ、このような関係になり、また、子供が出来たのかの詳細は描かれず、あらかじめ、排除されている。だからこそ、幼い二人の関係がいとおしく感じられるのだ。


少年への責任を自覚したブリュノは、進んで警察へ出頭する。刑務所で服役するブリュノのもとにソニアは面会にやってくる。コーヒーを買ってきてブリュノに渡す。ブリュノは紙コップのコーヒーを飲みながらソニアを見つめて泣き出す。一気にクライマックスを迎え、観る者が不覚にも涙を流してしまうエンディングは名状しがたい感銘にうちのめされる。凄いフィルムだった。


大人になれない少年や青年といえば、現代日本では「フリータ」だの「ニート」だのと呼ばれるが、実はその実態は彼岸と此岸ほど隔たりがあるように見える。働かなくともなんとか食べることができる「ニート」とは異なりブリュノたちは、働かないと食べることができない。しかし、働く現場がない。資本主義社会の行き着いた世相がみえる。ということは、日本の未来を暗示している映画といえないないだろうか。


ベルギーでは、子供たちの自立が早い時期に求められるゆえ、どう成長すればいいのか分からない。大人になること。その意味をこれほど深く剔抉したフィルムを知らない。簡潔に狭い世界を描きながら、その背景に世界的な高度資本主義社会の問題が浮かびあがっている。だからといって、社会主義社会の実現が望ましいなどとは言っていない。社会の成熟度が問題なのだ。恐るべき映画だ。


『ある子供』の公式ホームページ


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