フランドル


フランドル地方の田園地帯は絵画のように美しい。農業を引き継いでいるデメステル(サミュエル・ボワダン)の寡黙な農作業が静謐なリズムで描かれる。幼なじみのバルブ(アドレイド・ルルー)に誘われ、無人の農場でセックスする。会話を交わすこともなく日常的なリズムのように、バルブとデメステルの営みが平穏な田舎の生活で反復される。何げない会話の中に月曜日には、デメステルが徴兵され出発することがわかる。バルブは、デメステルと同じ日に同じ部隊に派兵されるブロンデル(アンリ・クレテル)とも関係を持つ。


ブリュノ・デュモン『フランドル』(Flnadres, 2005, 仏)は、静かな田園地帯で兵役を控えた若者たちと、男たちと次々セックスをする少女バルブとのかかわりを、ほとんど無人で静寂な田園を背景にキャメラに収めるシーンから始まる。


月曜日の朝、若者たちは一台のトラックに乗り、戦場へと向かうことになる。中東らしき戦地に赴く前には、仲間同士がふざけあう無邪気な様子が写される。荒涼とした砂漠地帯である戦場に着くと、指揮官が爆弾で吹き飛ばされ、6人の若者は、最初は見えない敵=抵抗するゲリラたちと戦うことになる。


攻撃しかけてきた相手を探し出すと子供であったが、容赦なく撃ち殺す。女性兵士を捕まえると、裸にし輪姦する。正常な感覚が麻痺し次第にエスカレートしていく。同時にカットバックで、フランドルに居るバルブは、相手かまわず厩舎などで男たちと動物のようにセックスを繰り返し、狂気を帯びてくる。戦場と平和なはずの田園地帯が併行するかのように平和な日常から逸脱し狂気の世界が展開されていく。


デメステルやブロンデルたちは次第に仲間が減り、ついには村人たちゲリラに捕まってしまう。輪姦された女兵士が出てきて、最初に強姦した兵士の下腹部を切断するという残虐な方法でまず復讐し、射殺する。このあたりの描写は、ほとんどせりふがなく、残酷な行為のみが観る者の眼に焼きつける手法をとっている。


ごく普通の若者が戦場という非日常の世界では、殺人者にもなり女性を強姦するという現実を、あまりにも淡々と自然のように描いている。説明を排除し映像で見せる戦場の狂気は、通常の戦争映画よりはるかに恐ろしい。戦争というものの本質が、その最前線をみせることで、紙上やTVで「戦争」や「国家」を論じる批評家・論客たちに鋭く問いを突きつけているようだ。


ブロンデルの子を妊娠したバルブは、狂気と判断され一時的に精神病棟に収容される。時は移り、戦場からデメステルひとりが田園地帯へ帰還する。映像はデメステルのもとにバルブが駆け寄り、ブロンデルの戦死の様子を聞こうとするが、デメステルは答えることができない。


バルブをマグダラのマリアに擬している解釈があるけれど、デメステルが戦場で何をしていたかすべて見ていたとバルブが告白するシーンは、一種宗教的でもある。宗教とは「狂気の昇華」でもあることを示唆している。


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『フランドル』は、これまでのブリュノ・デュモン監督作『ジーザスの日々』(1997)や『ユマニテ』(1999)の延長上にあり、暴力とセックスを描くものだが、今回は「戦争」の本質を、声高にではなく静かに映像によって提示している。それ故、実におそるべきフィルムになっている。


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ブリュノ・デュモンは、ロベルト・ロッセリーニストローブ=ユイレに影響を受けているとと語っている。固定された画面はストローブ=ユイレであり、風景はロッセリーニ風に撮られている。




■2007年10月15日補記


ブリュノ・デュモン『フランドル』は多分、2007年度映画のマイベスト3に入る。今年観た映画を振り返って整理してみると、ベスト1にしたいくらいの作品だ。