17歳の肖像


『プレシャス』とは一見、対照的な環境にある16歳の少女ジェニー(キャリー・マリガン)は、オックスフォード大学を目指すエリート女学生。彼女は中年の男性デイビッド(ピーター・サースガード)に魅かれ恋をし、17歳で結婚まで決意するが、男性が既婚者であることが分り、再び学校の先生(オリヴィア・ウィリアムズ)に助けを求める。



この映画の原題は「An Education」=「一つの教育」である。通過儀礼、イニシエーションとしての恋愛の失敗を経て、大学入学を目指し、担任の先生のように「教師」になりたいと最後には決意する。



いってみれば、この2本の映画は「教育」をめぐる優れた映画なのである。「学校」を馬鹿にし、教育現場に不満をぶつけ、教育なんか必要ないとさえ言われる世間。しかし、人間の成長に欠かせないのは「教育」であり「啓蒙」なのだ。


ポストモダン以降、教養主義まで悪しきものとして否定する特権的な人たちがいるが、人が成長し、社会の一員となり、一人前の仕事をするためには、『プレシャス』と『17歳の肖像』の2本は、「教育」が基本であることを、まさしく身を持って観る者に感じさせる映画だ。


「教育の力」を侮るものは、「教育」から疎外され、社会や共同体からはみ出す。小さな共同体の存在は、生存環境として、子どもたちを社会へ導き入れるのだ。「教養主義の没落」だの「悪しき教養主義」など、昨今「教養」そのものを否定する言説が氾濫しているが、「教育」=「教養」=「啓蒙」なる通過儀礼は、共同体にとって必要な制度なのである。


繁栄し豊かになることのみ、換言すれば「功利主義」や「拝金主義」を第一とする社会が喪失してしまったことが、様々なかたちで、現在露出してきているではないか。


無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)


痛い思いを経て初めて「教育」の大切さが解るのだ。永山則夫無知の涙』の教訓がある。「無知が栄えたためしがない」とは某氏のことば。


コミュニタリアニズム共同体主義)」に近いような発想だが、ここは「共同体主義者」のマイケル・サンデル教授の解説が必要なところだろう。


「教育」の大切さを真剣に考えなおすべき時がきているのではあるまいか。


これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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公正としての正義 再説

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