週刊東洋経済「哲学入門」


週刊東洋経済』2010年8/14−21号が、「実践的「哲学」入門」を特集している。少し前なら考えられないことだ。もちろん、マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』が、学生・学者ではなく、30代のビジネスマンが多く購読しているという実態を踏まえた企画なのだろう。まさしく、今の日本の政治・経済状況を反映しているといえよう。


これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学


状況が読めない、どこに存在の根拠を置いていいのか解らない。小林秀雄がよく言っていた「人間いかに生きるべきか」が、教育現場であるいは社会で問われなくなったからではないか。経済成長期には、誰もがそれなりに「自由」を謳歌し、生涯設計を立てることができた。バブル崩壊後の、規制緩和新自由主義、つまりは「リバタリアニズム」が極限まで進み、過酷なまでに自己責任と自助努力が求められる社会になってしまった。


Justice: A Reader

Justice: A Reader


若者たちは、就職活動(就活)と結婚活動(婚活)に多大なエネルギーを消費している。これが正常な社会だろうか。目先の経済・政治問題ではなく、より本質的思考に眼が向くのは自然なことだ。サンデル教授の講義には、就活や婚活の話は出てこない。しかし、身近な例から討論を通じて考えて行く過程が示されている。私達もサンデル教授のような講義に参加したかった。日本の学生が、サンデル本の読者でない、ということが信じられない。自分の生き方を考える契機となる本ではないか。


ビジネスマンが争って購読しているという光景は、殺伐とした社会に生きなけれなならない、我々、あなた、私自身の問題にほかならないからである。


経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ)

経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ)


東洋経済」の38・39頁に、「政治的自由の問題」24問と、「経済的自由の問題」24問があり、例えば、「政治」の第1問は「憲法9条を改め、自衛隊を防衛戦力として正式に位置づけるべきである」に対して、「そう思う」「ややそう思う」「あまりそうは思わない」「そうは思わない」の4つを数字で回答する。「経済」も同様に、第1問は「規制緩和を推進しなければ、日本経済はやがて大きく傾くときが来る」であり、「政治」と同様、4つのパターンで回答し、それぞれ集計した点数により、自分がどこに居るかを客観的に示してくれるという大変面白い設問だ。


四つとは「リベラリズム自由主義)」「リバタリアニズム自由至上主義)」「コンサバティズム保守主義)」「コミュニタリアニズム共同体主義)」であり、自分が予想していた位置とはかなりズレが生じる。


公正としての正義 再説

公正としての正義 再説


私自身は「リベラリズム」と「コミュニタリアニズム」の境界あたりだろうと思っていたが、結果は「リベラリズム」だった。サンデル教授から批判をうけそうであるが、現実の問題への対応で自分の立ち位置が分るというこの<政治経済自由度診断>は、たいへん、面白かった。


精神現象学

精神現象学


本誌では、全国で実際に開催されている「哲学カフェ」なるものが紹介されている。長谷川宏氏主宰の私塾「寺子屋教室」は、ヘーゲルを原書で読むという周知の勉強会であり30年近く続いてるらしい。他にもいくつか紹介されている。


経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)

経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)


サンデル教授の講義が、TV放映されたことが大きなきっかけではあろうが、討議やディベートによる自己確認の方法が見直されているが、現実にそのような機会はほとんどない。ましてやネット社会は、全く逆の世界である。


一見、繋がっているように見えるウェブ社会は、実は、現実への対応という点では何ら有効ではないということが分った。要するに、ウッブ社会とは、情報の収集と交換の社会であり、実は自己疎外されている自分がそこ居ることが前提だったのである。


ネットワーク社会の進化が全ての問題を解決するのではなく、単に情報が交錯しているだけなのだと知る意味でも、マイケル・サンデルの公開講義を知った意義は大きいといえよう。


リベラリズムと正義の限界

リベラリズムと正義の限界

民主政の不満―公共哲学を求めるアメリカ〈上〉手続き的共和国の憲法

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