アリス・イン・ワンダーランド


ティム・バートンジョニー・デップの『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)を観る。3Dで製作されているが、通常の画面で十分だ。映画の3Dはこれまで何度も試みられたが、ジェームス・キャメロンアバター』の成功により、映画は一見3D化に向かっているようにみえる。


アリス・イン・ワンダーランド [DVD]

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ティム・バートンアリス・イン・ワンダーランド』を、3D映画としての評価が多いようだが、映画評価の基準はそこにはない。3Dはいわば見せ掛けの装置であり、映画そのもののプロットや人物造型、キャラクターの映像デザイン化の質で判断しなければならない。とすれば、ティム・バートン版『アリス』は、19歳の女性が、自立し成長して行く話になっていることに注目する必要があろう。


成長したアリスが結婚する気のない貴族から求婚され、その場から逃げ出すために、再びうさぎに誘われワンダーランドをさ迷うという導入から引き込まれる。アリス役のミア・ワシコウスカは少女から女性へ変貌する直前の一種官能的な危うさを持っており、映画をリードするマッド・ハッター役のジョニー・デップは、自意識存立ぎりぎりの閾域のクレージーぶりは、この役者ならではの味わいを示している。赤の女王・ヘレナ・ボナム・カーターは頭部が異常に大きくなってしまい、「首を切れ」と命じることにのみ生きがいを感じている。一方、白の女王・アン・ハサウェイは、ひたすらか弱い女性性を前面に出すといった具合に、役割分担が見事に演じわけられている。


大筋は、原作『不思議の国のアリス』を踏まえており、19歳になったアリスが再び「ワンダーランド」を訪れるというお話を、ティム・バートン風にアレンジした作品になっており、『シザーハンズ』や『チャーリーとチコレート工場』などのジョニー・デップの造型ぶり相通ずるといういみでのコンビネーションが成功している。


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ルイス・キャロルの原作は、いわば言葉遊びのユートピア的ワンダーランドとして描かれたものだが、高山宏によれば、


アリス狩り 新版

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『アリス』全ての主題は、ユートピアへの、同時的な憧憬=幻滅ということに収斂する。(p47『アリス狩り』)


ユートピア的な世界に、憧憬と幻滅が同時的に存在するという解釈は、『アリス』のナンセンス的世界への二律背反的な逆ユートピアそのものである。


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『アリス』の翻訳は多数あり、また映画化されたフィルムも数多い。原作に忠実なアニメ作品としては、ディズニーの『ふしぎの国のアリス』(1951)がある。いわばオーソドックスな映画だ。それでも、チェシャー・キャットの冒険は不在の猫の存在について、ジジェクは『倒錯的映画ガイド』に引用していたことを想起したい。


作家性が際立つ作品としてヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』(1988)がある。登場人物は、少女アリス(クリスティーナ・コホウトヴァー)のみ人が演じており、他はすべて人形・パペットなどであり、全体にダークな雰囲気が漂い、物語の進捗はアリスのクロスアップされた口で語ることばによる。シュヴァンクマイエル版は、高山宏のいう「憧憬=幻滅」のイメージを体現している特異なフィルムになっている。


ヤン・シュヴァンクマイエル アリス [DVD]

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シュヴァンクマイエル自身のことばで『アリス』は、次のように語られている。

私の『アリス』はキャロル作品の翻案ではありません、その解釈であって、私自身の子供時代が刺激となっており、私の子供時代特有の脅迫観念や不安が投影されています。(p72『夜想34号』)


3本のアリス映画について触れてきたが、ルイス・キャロルの原作に忠実に「翻案」しているのは、ウォルトディズニーのアニメだけであり(それでもジジェクの倒錯的映画の範疇になる)、ティム・バートンヤン・シュヴァンクマイエルも原作を「解釈」したら、こうなるというフィルムである。


もちろん、申すまでもないだろうが、『アリス』は、子供向けのファンタジーなどではない。すぐれて言語遊戯的な、<ユートピアへの、同時的な憧憬=幻滅>を描くフィクションにほかならないのだ。



スナーク狩り (挿絵=ホリデイ)

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