紙つぶてー自作自注最終版


谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋、2005.12)について、昨日少し触れたので、この際、今回の書き下ろし「自作自注」分について読んでみる。本書は、『完本 紙つぶて』(1978)*1への「自作自注」を付したもので、巻末には、「人名索引」と「書名索引」があり、索引から読む本になっている。1969年から1983年にわたる書評コラムがまず記載され、今回の「自作自注」が新稿となる。


紙つぶて―自作自注最終版

紙つぶて―自作自注最終版


気になる著者を「人名索引」からみてみる。たとえば大岡昇平は、八箇所の記述がある。「自注」を引用してみると、

中村幸彦の最後の講演は「注釈」と題し、文学研究の究極の目的は注釈にあります、というのが結語であった。単行本の注釈書十一冊という空前絶後の業績を残した碩学の最後の言葉としてふさわしい。
・・・(中略)・・・
国文学は先ずその作品が出現したその原初について研究する学問である。文章から語義を定めることをなるべく避け、語義から文章を解してゆくのが古典研究である。古典研究は注釈に始まって注釈に終わる。(p.177)

国文学の専門的研究=注釈については、「はあ、そうですか」というしかないが、

綜合全集であれ個人全集であれ、内容によつては例外も生じるが、基本的には丁寧な索引を添える気配りが肝要となる。
・・・(中略)・・・
或る書物を活用するのに、決め手となるのは事項索引である。その一冊の全体に叙述されているうちの重要箇所を、的確簡明に選択摘出して、検索を容易にするため、順列よろしく整理するのが事項索引であり、・・・(p.231)


このくだりは、全集ものに索引がいかに重要かを示す碩学のことばして賛同する。大岡昇平の項目からは、中村幸彦の「注釈」と、「事項索引」の重要さ、それになぜか丸山眞男批判(349頁)*2江藤淳の学位論文への大岡昇平からの批判にからめての自注や、山田孝雄の学位論文が認めらるのに二十年要したことなどが記される、といった按配だ。


谷沢永一の『完本 紙つぶて』に関して、坪内祐三は「私の青春の一冊である」と『新書百冊』の本文とあとがきで述べている。いってみればそれほど伝説的書物が『完本 紙つぶて』の存在なのであった。

新書百冊 (新潮新書)

新書百冊 (新潮新書)


『紙つぶて』の書評コラムが書かれた70〜80年代初頭は、文学全集や個人全集の刊行が成立していた時期であった。丸山眞男も七回、人名として記述されているが、多くは丸山氏への思想批判である。と同時に岩波書店批判も多い。『丸山眞男集』の索引の不備と比較して、東京大学出版の『丸山眞男講義録』第六巻の人名・書名とは別に「事項索引」の充実ぶりに触れる。実際『丸山眞男講義録』第六巻には、第四巻から第七巻までの詳細な索引が付されている。なぜか、丸山批判と岩波批判はセットになっている。*3

そもそも岩波書店は、項目索引を嫌がって避ける傾向がある。『福沢諭吉全集』二十一巻では「総索引」と大きく構えるものだから大いに期待したところ、書名索引と人名索引とだけであった。(p.145)


谷沢氏が指摘するとおり、たしかに岩波書店の全集ものには、まともな索引がない*4と思うのは同感であり、古書店系の書店が出版する全集の索引の充実ぶりとは比較にならないことは事実だ。


一部「進歩的文化人」といわれる学者への執拗な批判以外は、書誌・目録・索引に関して教わるところろが多い。安東次男や宮崎市定の評価に首肯しつつも、渡部昇一長谷川慶太郎への無批判な過褒に抵抗を覚えながら、それでも「書評コラム」としての『完本 紙つぶて』の存在は大きかったと言わねばなるまい。


いずれにせよ、『完本 紙つぶて』が70年代書誌論であったのが、『紙つぶて 自作自注最終版』によって、21世紀に復活したといえるであろうか、これが一番の問題点となる。管見の限りでは、率直にみて、目録・索引等の書誌にかかわる「自注」以外は、さほど新鮮味がないと感じられた。


実際、書誌の大御所として天野敬太郎が八回登場し、『書誌索引論考』(日外アソシエーツ、1979)所収の「索引概説」(1947)から同じ文章「目録の時代を経て今や索引の時代に進んでいる」を何度か引用している。

天野氏『書誌索引論考』の現物から、谷沢氏引用前後の文章も含めて引用してみよう。

索引の発達の如何は実にその国の文化のバロメーターである。欧米諸国の索引の出版は相当に完備しており、
・・・・・・(中略)・・・
日本の敗戦は只武力のみではない。文化の基礎たるべき目録や索引に於いても負けているのである。今後は文化日本の建設のために索引の興隆を切望してやまない。目録の時代を経て今や索引の時代に進んでいるのである。(p.283)


1947(昭和22)年に書かれたこの「索引概説」は、敗戦の雰囲気を持ち、文化建設を望みながら記されたものと推測される。「結び」の文章から引用。

今や目録の時代は過ぎた。文献の活用は単なる目録によるのみでは不十分であって、実に索引によらなければ完全に利用をなし得るものではない。索引が研究され完全な索引が編著されなければ、真の学問の発達、文化の向上は望み難い。(p.296)


「索引」に関しては、天野敬太郎の敗戦後の雰囲気を背おった上記引用で十分であろう。
谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』からは、137頁の『明治文学全集総索引』(筑摩書房、1989)や、241−241頁の天野敬太郎林望に触れるような内容、さらに「文献目録とは何か」(541頁)などの、いわば書誌に関する箇所のみ信頼をおいて読むことができる。


書誌的記述以外で、思想的な批判を加えているところ、あるいは、書誌でも「安藤昌益のようなニセモノ学者」(435頁)という断定には、首をかしげざるを得ない。イデオロギー批判をしている本人が、イデオロギーに捉われているとしか思えない言説であり、繰り返しになるが、目録・索引等の書誌以外の記述は、谷沢氏の思考を相対化してみる注意が肝要であるといつておきたい。*5


文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

*1:「まえがき」で、谷沢氏は昭和53年版と記しているが、正確には昭和61(1986)年の文春文庫版の間違いであろう。

*2:丸山眞男への批判は、『「文明論之概略」を読む』を読めば、丸山氏による福沢諭吉の注釈であることがわかる。福沢理解の偏見は「脱亜論」(時事新報論説)一篇から、福沢を見る視点にある。丸山眞男批判は、小林秀雄批判が宣長批判であるのと同様、福沢批判にもなっていることに思い至る。福沢が「議論の本位を定めざれば、其の危利害得失を談ずべからず」という「議論の本位」の論旨は「価値判断の相対性」(丸山眞男)について述べている。丸山眞男が厳格な注釈者であることを、谷沢氏は全く理解していない。

*3:谷沢氏にとって、「進歩的文化人」と岩波書店が、批判の対象となるらしい。いまどき、「進歩的文化人」なる概念が通用するのだろうか。現在、「進歩的文化人」といえば、大江健三郎を想起するが、索引からみるかぎり、谷沢氏は大江氏について一回も言及していない。

*4:全集に索引がないのは、岩波書店にかぎらない。あたかも岩波書店のみ批判しているように思われる。たとえば、新潮社(『小林秀雄全集』など)や講談社(『埴谷雄高全集』)だって岩波と大差はない。

*5:あえて、本書を「価値の相対性」から批判するとすれば、索引・書誌論とイデオロギー批判を巧妙に混在させている点にある。そこに『完本 紙つぶて』と『自作自注最終版』の差異があると言っておこう。