比類なきジーヴス


およそ「書評」として成立しがたい類の書物がある。ユーモア小説などがその典型であろう。洗練されたユーモア小説とは、寅さんではないけれど「てめえ、さしずめインテリだな」と揶揄される知識人が好むジャンルでもある。探偵小説はまだ「書評」が成立するし、歴史小説や時代小説も、もちろん「書評」としての対象たり得る。ところが、ユーモア小説は、「書評」が成立しない唯一のジャンルといってもいいだろう。何をいおうとしているか、賢明な読書子にはお見通しだろうが、イギリスの作家P.G.ウッドハウスのことである。古賀正義訳『スミスにおまかせ』(創土社、1982)と、同じく古賀正義訳『ゴルきちの心情』(創土社、1983)を読み、その後いくら待っても、ウッドハウスの翻訳本が出なかった。ところが、今年に入り、国書刊行会から「ウッドハウス・コレクション」として、森村たまき訳『比類なきジーヴス』が刊行された。続いて『よしきた、ジーヴス』と『それゆけ、ジーヴス』の三冊が発行され、以下続編の出版予告がある。


比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

よしきた、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

よしきた、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)


一方、文藝春秋から「P.G.ウッドハウス選集」として、ジーヴスの短編を、第一巻『ジーヴスの事件簿』のタイトルで出され、ジーヴス・シリーズ以外の作品の刊行予定も知らされている。うかつといえば、うかつだった。P.G.ウッドハウスの翻訳本がこれほど連続して出版されることなど、誰が予想しえただろうか。嬉しい悲鳴だ。



吉田健一の『P.G.ウッドハウス』が巻末に収録されている。

最初にウッドハウスものを讀んだのがいつの頃のことか記憶から消えてゐる。こんなものがあるのだらうかと思ったのは覚えてゐてそれはいまでも同じHerbert Jenkins社から出版色の草色の表紙で黒で印刷したジイヴスものの一冊だつた。その題は忘れたがThe Inimitable Jeevesだったかも知れなくて例によつてこのジイヴスといふ比類ない何といふのか、従僕だらうか、御傭御用人だらうか。要する雇はれて主人の身の廻りに就て世話を焼くのが役目である人間がその主人のバアティイ・ウオスタアを助けて色々な窮地から主人を救つてゐる。ウッドハウスが書いたものになるとその百篇を越す話の筋が記憶のうちに縺れ合ってそのどれがどれなのか實物をもう一度讀み返さなければ見分けが付け難いが更にこれを手傳つてゐるのがどの話も平均して面白くて従ってウッドハウスの場合は可笑しくて優劣の差がそこにないのであるよりはそれぞれが優れてゐることである。(『ジーヴスの事件簿』p.450)


The Inimitable Jeevesがまさしく、『比類なきジーヴス』の原書であり、吉田健一ウッドハウス頌の文章が、この作家についてよくまとまった解説になっている。面白さの様子の描写も見事に写されている。ウッドハウスの作品は「それぞれが優れてゐること」であろう。つまり、駄作がないということだ。


復活したP.G.ウッドハウスを読む楽しみが突然やってきたのは、どういう風の吹き回しだろうか。


それゆけ、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

それゆけ、ジーヴス (ウッドハウス・コレクション)


『それゆけ、ジーヴス』が最新刊であり、昨年までP.G.ウッドハウスを翻訳で読むことができたのは唯一、『笑いの遊歩道 イギリス文学傑作選』*1のなかの短編『ちょっとした芸術』だけだったことを思えば、ちょっとしたブームなのだろうか。