老魔法使い


12月22日(月)の『朝日新聞』(大阪版)で、「種村季弘は終わらない」の記事を見た。『ぺてん師列伝』からの引用で紹介が始まる種村季弘の不在は、テクストの輝きによって不滅ではあるが、新作が読めないことの寂しさは否めない。今年6月に出版された翻訳、フリードリッヒ・グラウザー『老魔法使いー種村季弘遺稿翻訳集』(国書刊行会)が最後の出版となったが、購入後積読しておいたものを読みはじめる。


老魔法使い―種村季弘遺稿翻訳集

老魔法使い―種村季弘遺稿翻訳集


グラウザーの短編を、標題の「老魔法使い」「尋問」「犯罪学」「はぐれた恋人たち」「不運」「砂糖のキング」「死者の訴え」と七編続けて読む。作品内容について云々する前に、翻訳としての文章の良さが眼につく。大学の弟子で翻訳者である池田香代子の解説を引用する。

結局この作家の推理小説の見どころは、人間の心理模様であり、それを表現するさりげない筆致だ。ぽつんとこの世に置き去りにされたような孤独な人間たちの、それぞれの心のありよう。一人語りの形式をとる作品も多い。内面を吐露しながらも、なぜかドライで、内面描写は禁欲するのがモットーなはずのハードボイルドということばを思い出すほどだ。内面のハードイルドという形容矛盾が、種村季弘の日本語によって説得力をそなえてしまっている。(p.544)

グラウザーは、現段階では池田香代子の解説に尽きるだろう。


種村季弘を初期・中期・後期と三区分するなら、私は中期の作品群に親しみを感じる。「種村季弘ウェブラビリントス」の「著作年譜」をみると、単行本は58冊ある。私の好みというか評価している作品を以下にあげてみた。


10冊だから、一応ベストテンということになるのかも知れないが、「詐欺師」「ぺてん師」「贋作者」や「漫遊記シリーズ」など、中期の著作が多い。なかでも、『壺中天奇聞』『ヴォルプスヴェーデふたたび』『ぺてん師列伝』がマイベスト3となる。種村季弘の不在は、読書の楽しみを味わう機会を少なくさせた。残されたテキストを読むことによって、種村氏の存在を感じることだ。



ここまで書いてきて、『壺中天奇聞』を古書店で買い求めて以来、久々に開いてみると、安吾と鏡花論しか読んでいないことに気づいた。澁澤龍彦『偏愛的作家論』と勘違いしていたのだった。未読の作家論をベスト3にとりあげることは許されまい。もとい。選出し直して、『ぺてん師列伝』『ヴォルプスヴェーデふたたび』『書物漫遊記』の三冊にしておこう。『壺中天奇聞』は、今なら斎藤緑雨牧野信一稲垣足穂も抵抗なく読むだろう。未読図書が出てきたことを喜ぶべきか。


書物漫遊記 (ちくま文庫)

書物漫遊記 (ちくま文庫)


恒例の年末の収穫をあげるべき時期だが、その前に新聞記事に触発されて種村季弘訳『老魔法使い』と『壺中天奇聞』を積読から解放して、眼前に置いてみると種村氏の存在の重さがひしひしと伝わってくる。


詐欺師の楽園 (岩波現代文庫)

詐欺師の楽園 (岩波現代文庫)

パラケルススの世界

パラケルススの世界