もうすぐ絶滅するという紙の書物について


電子書籍元年と言われた一年であった。関連本の出版も相次いだ。
一番本質をついていると思われるのは、ウンベルト・エーコジャン=クロード・カリエールの対話本『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(阪急コミュニケーションズ)であった。


もうすぐ絶滅するという紙の書物について

もうすぐ絶滅するという紙の書物について


嬉しい復刊は、山口昌男内田魯庵山脈(上・下)』(岩波現代文庫)と、グスタフ・ルネ・ホッケ著、種村季弘矢川澄子訳の伝説本『迷宮としての世界(上)』(岩波文庫)であった。『迷宮』は来年2011年1月の下巻出版を楽しみに待っている。


迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)


電子書籍化とは、ロングテール現象として実現できないのであれば、敢えて電子化する意義はないとさえ思う。Googleが世界の全書籍を電子化すると発表したとき、入手できない図書を読むことができることを期待した。


電子化とは、ベストセラーを電子書籍として読むことなら、電子化など無用であろう。電子化が出版界の危機だといわれるのは、「売れる/売れない」を基準に判断しているからで、多品種少量商品の対応にシフトして行くことで、危機は回避されるのではないか。


電子書籍で気になるのはリーダーとしてのハード、たとえば「iPad」「Kindle」や、ソニーの「リーダー」、シャープの「ガラパゴス」などの読書端末だが、それらが長期的使用に耐えられるのか。コンピュータ化、ウェブ化の世界とは、絶えざるハード&ソフトの進化(実は商戦略にすぎない)であり、2〜3年毎に、パソコンの買い替えであった。


同じような事態が、電子書籍の読書端末においておきないとは言えないだろう。むしろ頻繁に機種は変更され、その都度買い換えることになりそうだ。その際、ダウンロードするテキストの価格(著作権料を含む)はどうなるのか。テキストを販売するメーカー間での同一テキストの互換性は保証されるのか。読書端末を買い替える毎に、書籍のインストールはどうなるのか。そんな不安が大きいのは、パソコン市場の変遷を苦い思いでみてきたからにほかならない。


少なくとも紙の本は一度購入すれば、買い直すことはない。しかしながら、電子端末の機種変更によるテキストの利用は保証されるのか。


ハウツー本や、すぐに答えを求めるような類の本は、読書端末で一度読めばそれで終わるし、再読や保存に耐える必要もないだろう。書物の電子化とは、かつては絶版で入手すら困難だった本が、いつでも読めるような環境になることではないのか。


電子書籍元年の動きをみるかぎり、どうも端末の使いやすさなど多くはその機能面が注目されているが、電子化の志向する方向性が、別次元に行くような気がするのは私だけだろうか。


ウンベルト・エーコの言葉を引用しよう。

現代の記録媒体がすぐに時代遅れになるということはすでにお話しました。読んだり聞いたりできなくなるかもしれない道具で、家の中がいっぱいになるリスクをどうしてわざわざ冒すのでしょう。現代の文化産業が近年市場に送り出している様々な商品より、書物が優れているということは科学的に検証済みです。したがって、持ち運びが簡単で、過度の経年に耐えうるということがある程度わかっているという意味で、私は紙の本を選びます。(p56)


紙の本を選ぶというウンベルト・エーコの言葉は正しい、と私は思う。


バウドリーノ(上)

バウドリーノ(上)

バウドリーノ(下)

バウドリーノ(下)