先生とわたし
四方田犬彦が、彼の師・由良君美についてまとめた『先生とわたし』(新潮社、2007.6)を読了。
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既に高山宏が、紀伊国屋書店Web「書評空間」で取り上げているので、それ以上のことはとても書けない。まず高山宏が、石原都政下の首都東京大学での不毛の日々から解放*1され「書評家」に復帰したことを歓びたい。
構造主義的民話・物語分析があり、マニエリスムがあり、かと思えば気の利いた学生が調達してきたフィルムの実写を伴うドイツ表現主義映画の分析あり、つげ義春ほかの漫画の記号論的分析あり、学生の発表を悠然とダンヒルをくゆらせながら聴く美男ダンディ由良君美(きみよし)の姿が、まるで眼前にホーフツする。エルンスト・ブロッホを読み、ミルチャ・エリアーデを講じるこのゼミとは、つまるところ、1960年代後半から約十年強続いた「学問の陳立ての再編」(由良氏自身の言葉)の大きな――しかし改革を迫られていた大学が巧妙にやり過ごした――うねりの余りにも見事な縮図であることを、このどきどきする百何十ページかをめくりながら改めて再認識した。(高山書評)
- 作者: 高山宏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/07/11
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由良ゼミの雰囲気を、同じ由良氏を師とする高山宏が四方田氏の文から、以上のようにまとめる手法は、マニエリスムへ収斂する高山的世界とも通底する。更に、
教育や出版のポイントの所にこういう人々がいて、それが巧く連関し合ってこそムーヴメントになる。そういう瞬間を絶妙に切りだしてひとつの物語にする醍醐味を歴史人類学(山口昌男)と言い、ぼくなら知識関係論と呼ぶのだが、この本の魅力は、こうして学生とのつき合いで、また優秀なエディトリアル感覚の人間との交渉で、由良君美が時代の寵児となっていったトータルな脈路を絶妙にあぶりだしてくれている点で、特に当時、そこから出た本をぼくなど無条件で全点購入したせりか書房や現代思潮社その他の背後に「暗躍」した知的企画人、久保覚の存在をクローズアップしたのは、読書人たち全体に対する四方田発の熱いメッセージ。素晴らしい。(高山書評)
編集者・久保覚の存在を読者に知らせる功績も大きい。忘れられた幻想文学の才人・由良君美は、かつてはフランス文学の澁澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘、英文学の由良君美と並び称された。『みみずく○○』シリーズの数冊が書棚の奥に眠っているはずだが、いますぐ取り出せない状態。その屈折した文体の持つ意味に惹かれながら背後に何があった知るわけもない単なる本好きの私にとって、四方田犬彦の本書と高山宏の書評に導かれ、眼もくらむばかりの由良君美の世界に圧倒された。
由良君美の存在のあり方は、人間関係の織りなすこうした不毛の政治のすべてから超越していた。彼はけっして歯に衣を着せるような批評はしなかったし、大学教師がしばしば職業的に人格化してしまう、自己防衛に由来する韜晦術からも無縁だった。学生の語学的過ちには容赦しなかったが、文学を論じる場では年齢や立場に拘わらず、つねに対等に議論をしようという姿勢をとった。・・・(中略)・・・由良君美はすべてを、まったく無償の行為として行った。彼はしばしば理不尽な怒りの発作によって学生を脅えさせたが、ある種の教師に見られるように、執念深く手を回して一人の若い研究者の将来を断ち切るといった卑劣な行為とは、生涯を通して無縁だった。(p.231)
ここには、弟子・四方田犬彦が、師・由良君美の生涯をたどりながら、由良氏を肯定するに至った結語がみられる。様々な思いが去来するなかで、高山宏ではないが、<よくぞ書いてくれました。「さながら悪魔祓いのように」>
本書の醍醐味は、単純な師弟関係ではなかった四方田犬彦が、由良氏の出自にまで目配りしながら、自らの身をも切る思いで綴られているところにあるだろう。素晴らしい「評伝」となった。
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