2008年本の収穫


【書物2008年】
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』(法政大学出版局、2008.10)

シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)

シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)


今年の書物の収穫は、まずジル・ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』が筆頭になる。原書が出版されてから、多くの批評家が映画を論じる際に、『シネマ』が引用されてきた。『シネマ2*時間イメージ』が2006年11月に出版され、遅れること約2年で、『シネマ1』が翻訳出版され無事完結したわけだが、原書出版年は1980年代前半であり、それ以後の作品は当然のことながら対象とはなっていない。にもかかわらず、本書は、映画と言葉を結ぶ唯一の哲学的映画論であり、既に古典の域に達している。


蓮實重彦『映画論講義』(東京大学出版会、2008.9)

映画論講義

映画論講義


ドゥルーズに関係する映画本として蓮實重彦『映画論講義』は、映画を読む指標としていまだ蓮實重彦の存在の大きさを痛感させる本だ。映画とは、優れた映画批評家が伴走することによって映画の質が保証される。その点では、80年代から90年代は、蓮實重彦淀川長治の二人が牽引役を担った。さて、いま彼らに匹敵する批評家がいない。



荒川洋治『読むので思う』(幻戯書房、2008.11)

読むので思う

読むので思う


荒川洋治は、このところ本が出版される度に話題にしている。文章が短くなる。文体もシンプルになる。それでも、内容としては、濃密であり、本に関係する四方山話が集約され、いつながら斬新な切り口に刺激を受けている。



古井由吉『ロベルト・ムージル』(岩波書店、2008.2)

ロベルト・ムージル

ロベルト・ムージル


古井由吉はいつも気になる作家であり、新刊が出るたびに購入しているものの、なかなか読了できない。しかし、『ロベルト・ムージル』は、すんなり読むことができた。同時に、ムージルの小説を読むという二重の楽しみがあったから、久々に古井由吉本読了として収穫に取り上げることができた。年末には岩波から『漱石漢詩を読む』が上梓された。この本も読めそうだ。



水村美苗日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008.11)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で


数年に一冊づつ着実に本を出す水村美苗の新著は、日本語論だった。世界語としての英語と、母国語の国語教育に論争の話題をもたらした。


多田富雄『寡黙なる巨人』(集英社、2007.7)
須原一秀自死という生き方』(双葉社、2008.01)

寡黙なる巨人

寡黙なる巨人

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者


小林秀雄賞受賞により読むことになった多田氏の著書。拙ブログでは、須原一秀自死という生き方』と対照させながら、採りあげた。いずれも生と死をめぐる忘れ難い書物だ。



以下、コメントは拙ブログで言及しているので、リストのみとする。


バートルビーと仲間たち

バートルビーと仲間たち


一冊だけ触れるとすれば、『バートルビーと仲間たち』だろう。メルヴィルの『バートルビー』から、「バートルビー症候群」と名付けることができる一種異端の、というよりある意味では普遍性をすら持ち得る存在のあり方の提示であり、いわば話題の広がる書物だった。


■未読だが、どうしてもあげておきたい書物がある。柄谷行人が『朝日新聞』の書評欄でとりあげた本だ。<芸術>はいかにして<神>となったか。実に興味深いテーマだ。


◎松宮秀治『芸術崇拝の思想』(白水社、2008.10)

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神



今年も、書物、本という形式に感謝したい。