埋もれ木


『泥の河』でデビューした小栗康平の到達した場所が、『埋もれ木』であるとすれば、この先、小栗氏はどのような方向に進むのか、換言すれば、徹底したリアリズム手法から、次第に映像表現に主体を移し、物語の解体と抽象化の極地に達してしまった。作品としての『埋もれ木』は、きわめて刺激的であり、日常と非日常のあわいと、田舎町の閉じられた世界から彼岸を目指しているような描写になっている。


少女・夏蓮たち三人が、お話をつむいで行く、一方現実のさびれた田舎町の現実が交互に交錯する形で、映像優先で語られる。個々のエピソードの積み重ね的な手法で、大きなストーリーはない。その個々のエピソードの光景が、絵として映像としてあるいは仕掛けとして見逃しがたいシーンの積み重ねになっているといっても過言ではない。


例えば、回り舞台がせり上がるシーンは、本編とはとりたてて深い関係もないが、眼を見張るシーンの一つであり、こども地蔵のシークエンスも新鮮な驚きがある。大型トラックに描かれたクジラの絵が水面に写るンーンも美しい。古いマーケットの風情や、そこに住む人々、坂田明大久保鷹など。


夏蓮の両親役、田中裕子と平田満。田中裕子が娘の夏蓮とレストランで食事をするシーンは、一見なにげない光景だが、死んだ犬の話をしながら、実は「人生論」を語っている。夏蓮がベッドに横たわり、友達に携帯で電話するシーンのみ、妙になまめかしい。少女がもつ肉体の爽やかな色気が匂い立つ。


夏蓮が男友達・登坂紘光と廃業した写真屋に行き、「記念写真はみんな同じ方向を向いているところがいい」と語るシーンも印象的だ。


田舎町にある唯一のコンビニ。浅野忠信が赤いスポーツカーで乗りつける。コンビニだけが、現在につながっているような雰囲気を持つ。対照的に、曳き家として空き地にぽつんと建つ家の古風な雰囲気。街なかの道路わきで、老人ホーム行きを拒否する坂本スミ子と彼女をなだめる岸部一徳。数え上げればきりがない。


もちろん、埋もれ木が出現するシーンとか、ラストのカーニバル的雰囲気を持つ祭りのシークエンス。紙灯篭が、風船とともに空高く舞い上がる風景は、世俗を超越している。


小栗康平が25年間に撮った映画は、『泥の河』(1981)『伽耶子のために』(1984)『死の棘』(1990)『眠る男』(1996)とわずか四本であり、リアリズムから次第に抽象的映像化の方向へ進んできたが、『埋もれ木』でその頂点を極めた。だからこそ、この先撮るべき映画とは、どのような作品になるのか、予測がつかないのだ。


小栗康平監督作品集 DVD-BOX

小栗康平監督作品集 DVD-BOX


映画を見る眼

映画を見る眼


しかしながら、敢えて『埋もれ木』に注文を出すとすれば、コラージュ風な映像は、フィルムとしては散漫な印象を受けざるを得ない。小栗康平のベストは、第一作『泥の河』であることに変わりがない。もちろん、『死の棘』の凄絶さの中のユーモアなどは高く評価されるだろう。それぞれの作品に愛着や評価があるけれど、一本を挙げるとすれば、『泥の河』になつてしまうことは避けられない。


死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)