東京奇譚集


村上春樹の最新作『東京奇譚集』を読了。雑誌『新潮』に短期連載の四編に書き下ろし『品川猿』を加えて、五編を収録している。冒頭に置かれた『偶然の旅人』は、「僕=村上春樹はこの文章の筆者である。」と始まる。ん、まさか、村上春樹私小説を書くわけがない、と半ば期待をしながら読みすすめると、やはり、いつもの村上節に収まっている。


東京奇譚集

東京奇譚集


『偶然の旅人』は、村上春樹自身が体験した「不思議な出来事」を枕にふる。マサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいた時の実話。ピアニストのトミー・フラナガンの演奏会での出来事。村上春樹がリクエストしてでも聴きたいと思っていた二曲が、ステージ最後に演奏されたこと、しかもそれが「チャーミングな素晴らしい演奏だった。」と結ばれる。二つ目の出来事は、ほぼ同じ時期の中古レコード店で、ペパー・アダムズの『10 to 4 at the 5 Spot』を見つけたときのこと。「10 to 4 」とは、4時10分前という意味で、店をでるとき、時間を聞かれた男に「10 to 4 」と答えたら、まさしく、その時間だったというお話。

村上春樹は次のようにいう。

超能力についても無関心だ。輪廻にも、霊魂にも、虫の知らせにも、テレパシーにも、世界の終末にも正直いって興味はない。(p.15)


にもかかわらず、上記のような「不可思議な現象」がときどき起きるというわけだ。『偶然の旅人』では、知人が体験した「不思議な出来事」が語られる。自分がゲイであることを自覚した彼は、カミングアウトすることで、家族と疎遠になり、姉からも嫌われる。


彼は、ある日、書店のカフェで、ディッケンズ『荒涼館』*1を読んでいたところ、偶然にも同じ本を読んでいた女性から声をかけられる。やがて二人は親密になり昼食をともにする。やがて彼女からの誘いがあったが、彼はゲイであることを告白する。彼女は実は乳癌であり、その日は、手術の前々日であった。


女性の乳癌から、突然、気になっていた姉に電話をすると、なんと姉も乳癌の手術を受けるために入院する前日であった。この不思議な偶然を招きよせたのは、書店のカフェで出会った女性であったが、彼女のその後の消息は語られない。


彼はピアニストを目指していたが、「音楽の世界というのは、神童の墓場なんだよ。」「二流のピアニストになるよりは、一流の調律師になった方が僕のため」という人物でもあった。


『偶然の旅人』を要約するとこんな話だが、文体や雰囲気はハルキワールドになっている。村上春樹自身の体験が、冒頭に置かれていることが、新鮮な印象を受ける。


『ハナレイ・ベイ』は、ハワイで息子を亡くした母親の心境を綴ったもので、「不可思議な体験」を本人はできないものの、鮫に喰われた息子が片足でサーフィンをしている光景を見たという日本の青年の話を信じて生きて行く。どちらかといえば、リアリズム手法の作品。


『どこであれそれが見つかりそうな場所で』では、パンケーキを焼いている間に失踪した夫の捜索を、妻から依頼された探偵の視点で書かれている。パンケーキとかりかりに焼いたベーコン。いかにも村上春樹好みの料理。ラーメンやみそ汁のような日本的庶民が好む料理とは無縁だ。


『日々移動する腎臓のかたちをした石』は、芥川候補作家が主人公であり、作家が書く物語と、現実に出会うビルからビルへの綱渡りを「仕事」とする年上の女性との関係。現実と虚構が交錯するムラカミワールド。


さて、巻末の書き下ろし『品川猿』は、自分の名前を時々忘れる女性を、カウンセラーの導きによってその原因を探って行く。「羊男」がいたように、「品川猿」がいても不思議ではない。荒唐無稽なムラカミ的世界の極北にある作品の系譜か。


こう見てくると、短編集『東京奇譚集』は、村上春樹の短編世界でも「奇譚」の系譜に連なる作品群が揃っていて、期待を裏切らない。


『偶然の旅人』のジャズに始まり、ボビー・ダーリンの『ビヨンド・ザ・シー』(『ハナレイ・ベイ』)だの、「アルフレッド・ヒッチコックの映画なら画面がぐらりと揺れてここから回想シーンが始まるところだ。」(『どこであれそれが見つかりそうな場所で』)だのと、村上春樹の趣味が現れているのもいつものご愛嬌。


本書は、『レキシントンの幽霊』、『神の子どもたちはみな踊る』以後の短編集となる。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)


■追記(2005年9月24日)


共同通信ブロック紙に「文芸時評」として掲載された、巽孝之「読む旅に語りたい」(2005年9月24日)に村上春樹の『東京奇譚集』をとりあげ、巽氏は、『偶然の旅人』は「ポール・オースターばりの物語」、『どこであれそれが見つかりそうな場所で』は「どこかレイモンド・カーヴァー風の逸品」、『品川猿』は「明らかにポウやピンチョンへのオマージュを含んだメタ・ミステリー」と評価している。

いずれもこの作家が尊敬する先行作家の影を感じさせつつも、最終的に春樹でしか書けない世界が驚くほど多様に広がっているところは、息をのむほかない。

と結ばれている。なるほど、村上春樹の敬愛する作家からの影響という視点は、説得的であり、面白い。