若い読者のための短編小説案内


若い読者のための短編小説案内

若い読者のための短編小説案内

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)


三浦雅士著『出生の秘密』から、丸谷才一『樹影譚』へ、その際、村上春樹『若い読者のための短編小説案内』を、再読している内に、この村上氏による小説論に、ほかならなぬ村上春樹自身の「創作の秘密」が、内包されていることに気づいた。周知のとおり、村上春樹が、自作について「解説」めいた文章*1を書いているのは、講談社版の『全作品』についてのみであり、さらに言えば、その中で、作品の謎には一切触れていないのだ。

一流の作家というものは、本当に苦労したところを人には見せてこなかった。当然のことですね。ほんとうに汗をかいたところでは、汗をかいたそぶりさえ見せないようにする。(p.173)

この文章は、丸谷才一にかんするところで述べているが、村上春樹の小説作法そのものではないか。

僕はいわゆる自然主義的な小説、あるいは私小説はほぼ駄目でした。太宰治も駄目、三島由紀夫も駄目でした。そういう小説には、どうしても身体がうまく入っていかないのです。(p.15)

これを「僕の個人的な嗜好の問題」と記しているが、太宰治せよ、三島由紀夫にせよ、書かれたテクストから、作家の内面や思想に至ることが比較的容易である。ところが、書かれたテクストから、村上春樹を、解釈することはきわめて困難であることは、一度でも村上ワールドに踏み入れた者には、よく分かることだ。むしろ、何が書かれていないかが、村上春樹的主題である。だからこそ、多くの読者が魅了され、多くの文芸批評家が解読を試みるのだ。


『若い読者のための短編小説案内』のなかで、庄野潤三静物』の解釈について、実に斬新な見方を提示している。何よりもこの小説は「文章を加えていった作品ではなく、文章を削って削り抜いた作品」と評価し、「推敲に推敲を重ねた」と推測している。


プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)


静物』の解読方法として、村上春樹は次のように述べている。

一度や二度ざっと読んだくらいでは、なかなか全貌が見えてこない。読んでいて「なんでこんなことが?」とか、「いったいこれは何なんだ?」と首をひねらされるところがたくさんあります。僕はそれらの謎をリストアップして、それらをいちいち細かく検証してゆくという方法で、とりあえずはこの作品を鳥瞰的にではなく、虫瞰的に読んでいきたいと思います。(p.134)


このような方法は、いうまでもなく村上春樹の諸作品を読むときに、読者に強いる方法にほかならない。「正攻法」で攻めると「水平線」が見えなくなるとは、村上作品に該当するのだ。

そして『静物』にたいする村上春樹の評価は、以下のとおりきわめて高い。

この作品が初表された昭和三十五年といえば、安保闘争の年です。世間が上を下への大騒ぎをしていた。戦後のひとつの大きな節目です。そんな時期にあえてこの「静物」を書いて世に問うた庄野潤三の文学的姿勢を「ラディカル」と取るか、「コンサヴァティヴ」と取るか、これはすごくむずかしいところですね。「その両方であるし、同時にどっちでもない」という風に、僕は個人的に感じているのですが。(p.156)


また、長谷川四郎『阿久正の話』*2については、次のように評価する。

「阿久正の話」という作品には、作者の身体が発する抑えきれない硝煙の匂いがあります。それは理屈でもなく、理論でもなく、寓話でもなく、もつと生理的な、根元的なものです。
・・・(中略)・・・
長谷川四郎はこの作品の中で、戦争体験そのものを描かずに、戦争というものがもたらしたひとつの状況を、不思議に瑞々しく描いているのです。(p.236)


村上春樹の解読に参考になるのは、加藤典洋篇『村上春樹イエローページ』、『村上春樹イエローページPART2』(荒地出版社)であり、『イエローページ』の方法は、徹底して細部にこだわる手法で、接近を試みている。


村上春樹イエローページ―作品別(1979~1996)

村上春樹イエローページ―作品別(1979~1996)

村上春樹イエローページ (Part2)

村上春樹イエローページ (Part2)



村上春樹の小説についての考え方は、『若い読者のための短編小説案内』に現れているといっても過言ではない。本の帯のことば、「書くのは大変だけど、読むのは面白い!」が、村上氏は、ここでは短編に限定しているけれど、村上春樹のホンネが語られているのだ。


村上春樹:近刊予定*3

東京奇譚集

東京奇譚集

*1:『全作品』には「自作を語る」と題した解説が別刷で付されている。

*2:ISBN:4061961500

*3:ここ数年毎年9月に新刊が刊行されている。