「品川猿」「品川猿の告白」は「ラガー」ではなく「黒ビール」で読み解く

 

一人称単数


村上春樹の6年ぶりの短編小説集『一人称単数』(文藝春秋,2020)を、遅ればせながら読了した。

 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

 

 

 

八編の短編が収録されているが、中でも特筆すべきは「品川猿の告白」であろう。

 

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 

 「品川猿」とは、『東京奇譚集』(新潮社,2005)に書き下ろしで収録された作品であり、加藤典洋が「傷つけず真実を伝える」方法を示した優れた「カウンセリングの本質」を示す作品と高い評価を与えた作品である。拙ブログでも2006年7月13日に触れている。「品川猿」が傑出した作品であったが故に、その続編を思わせる「品川猿の告白」は、「僕」が群馬県M*温泉の小さな旅館で出会った「品川猿」から、女性の名前を盗む話を聞くという内容になっている。

「かなり長く、東京の品川区で暮らしておりました」と猿が「僕」に告白を始めるが、「あるときから、私は好きになった女性の名前を盗むようになった」という。その方法は、「IDが最も理想的です。運転免許証とか保険証とかパスポートみたいな。それと何らかの名札のようなものでもかまいません」と告白する。「七人の女性の名前を私は盗みました」


品川猿」では、名前を盗む代わりにその人の負の側面を引き受けるというものだったが、「告白」では、それから5年後、「僕」は名前を急に思い出せなくなったという女性編集者に出会う。女性編集者は公園で休憩しているときに、ハンドバッグを盗まれ、警察に連絡すると、その日の午後、公園近くの交番にハンドバッグがあり、その中から免許証のみ消えていたという。
「僕」は「彼女に品川猿の話をすることはやはりできない」で短編は終わっている。
究極の恋情と、究極の孤独ー僕はそれ以来ブルックナーのシシンフォニーを聴くたびに品川猿の「人生」について考え込んでしまう。小さな温泉町の、みすぼらしい旅館の屋根裏部屋で、薄い布団にくるまって眠っている老いた猿の姿を思う。

 

続編的色合いが強い「品川猿の告白」は、名前を盗むことで女性の負の部分を引き受けるという「品川猿」の特質は消えている。

動物にこだわりが強い村上春樹が、敢えて続編を思わせる「品川猿の告白」を書く必要があったのだろうか。とりあえず、別の作品と思いたい。

というのが、「品川猿」を「ラガービール」として読んだ結果であり、『一人称単数』の「ヤクルト・スワローズ詩集」の中でいみじくも神宮球場のビールの売り子(男子)が「黒ビールですが」と断りを入れている。

これを要するに、村上春樹の小説は「ラガー」ではなく、「黒ビール」であると暗に示唆しているのだ。


品川猿」の読みに加藤典洋による「カウンセリング」など一切関係ないことを、「品川猿の告白」に示すことで、名前を盗む行為とは、<猿の女性への純愛の表現にほかならない>と村上春樹は書いているのだ。

 

以下記述の便宜上、『東京奇譚集』収録作品を「品川猿A」とし、『一人称単数』の「品川猿の告白」を「品川猿B」と略称したい。

 

さて、「品川猿A」は女性の名前を盗むことで、女性の負の部分を猿が引き受けるという当初の解釈を取りたい。『東京奇譚集』の「品川猿」を「品川猿A」として、『一人称単数』の「品川猿B」と差異化をはかり、「品川猿B」は、女性の負の部分を引き受けない。ただ猿Bの愛情表現が、女性の名前に関わりのあるIDカードなどを盗み、IDカードを通してその女性へに愛を一方的に捧げているのだ。

品川猿B」はそれ以上でも以下でもない、というのが私の解釈になる。村上春樹氏は、それは「ラガービール」だというかもしれない。しかし、少なくとも「品川猿B」は、「品川猿A」の続編ではない。


とここまで書いてきて、「品川猿A」と「品川猿B」の決定的な違いは、「品川猿B」収録のタイトルは『一人称単数』とあるように、「僕」の体験集になっていることだ。あたかも村上春樹自身が八編の短編の出来事を体験したかのような内容になっている。
換言すれば、「品川猿A」はその視点が明確ではなく、聞書き風に書かれているが、「品川猿B」は「僕」が、群馬県M*温泉の小さな旅館で、「品川猿B」の告白を直接聞いていることが、最大の違いである。しかし、「一人称単数」も一つの仕掛けであり、書く手法が異なるとはいえ、「品川猿」の連続性も否定できない。

 

まあしかし、いずれにせよ、解釈は「黒ビール」を飲むように、普通の小説ではないことを前提にすれば、答え(解釈)は読者の数だけ存在する、ということ良いのではないだろうか。

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さて、以下は『一人称単数』採録の残り七つの短編の内、五編の感想を記しておく。

 

 

 冒頭の「石のまくらに」は、主人公の「僕」が大学二年生の時に出会った二十代の女性の話。彼女は短歌を読む。「僕」は四ツ谷駅近くのイタリア料理店でアルバイトをしていた。年上の女性はホールのウェイトレスをしていた。彼女が店を辞めるときに送別会があり、終了後に彼女は小金井に住んでいてそこへ帰らず、「僕」のアパートで一夜を過ごすことになる。翌朝、「歌集みたいなのを一冊出しているから、もしほんとうに読みたいのなら、あとで送ってあげるよ。きみの名前と、ここの住所を教えてくれる?」といわれ、そのとおりにメモ用紙に書いて渡すと、一週間後に彼女の「歌集」が送られてきた。「歌集」のタイトルが『石のまくらに』であった。一頁に一つの短歌が四十二首収録されていた。

やまかぜに/首刎ねられて/ことばなく/あじさいの根もとに/六月の水

午後をとおし/この降りしきる/雨まぎれ/名もなき斧が/たそがれを斬首

などのような不吉な短歌が「石をまくらに」に収められていた。

最後は、

たち切るも/たち切られるも/石のまくら/うなじつければ/ほら、塵となる

という短歌の引用で終わっている。一夜の思い出と不可思議な歌集、シテュエーションがいかにも村上春樹的であり、描写の細部にも、ハルキ的言説が漂っている。

 

「クリーム」は、18歳の時に経験した奇妙な出来事を友人に語るという仕掛けになっている。十代の少女の思い出。ピアノコンサートへ招待された会場に向かうが、指定された場所は閉鎖されていた。公園の四阿で老人と出会う。老人は少年に次のように言う。

「ええか、きみは自分ひとりだけのバー力で想像せなならん。しっかりと智恵をしぼって思い浮かべるのや。中心がいくつもあり、しかも外周を持たない円を。・・・」
「この世の中、なにかしら価値あることで、手に入れるのがむずかしうないことなんかひとつもあるかい」
「時間をかけて手間を掛けて、そのむずかしいことを成し遂げたときにな、それがそのまま人生のクリームになるんや」(p42)

村上春樹自身が、この老人(七十歳くらいか)の年になっている。つまり過去の自分にむかって「人生のクリーム」において語りかけているのかもしれない。

 

「チャリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、<バード>にたいする虚構的なオマージュになっている。

 

ウイズザ・ビートルズ」は、美しい少女の思い出。1960年代に少年・少女であった世代への、いや村上自身のかつて美しい少女だった時代の回顧。もはや彼女たちは夢の効力を失っている!当該年齢のかつての少女たちへの憐れみか?

 

最後に置かれた書き下ろし「一人称単数」は凡庸なカフカ的お話。普段スーツを着ない「私」、その日スーツを着て普段行ったことのない地下のバーに出かける。
そこで、ウォッカギムレットを注文し、それを飲みながら本を読んでいた。50歳前後の女性が隣にきて、「私」に言い放つ。
「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」
「私」の友だちの友だちと称するその女性から逃れて、地上に上がると、歩道には真っ白な灰が積もっており、歩いている男女は顔を持たない。「恥を知りなさい」とその女が言った。陳腐なカフカ的状況といえようか。

村上春樹自身への自虐的作品、と解釈してみた。

他の五編は、ラガービール的読み方をしてしまったようだ。

 

とまれ、私自身は、村上春樹の短編は面白いと感じている。『村上春樹全作品 1979~1989』の3(短編集1)、5 (短篇集2)、8( 短篇集3)の三冊。

村上春樹全作品 1990~2000』の 第1巻(短編集Ⅰ)、第3巻( 短編集Ⅱ)の二冊、全作品から3冊の「短編集」があり、こちらで読んでいる。『全作品』収録の短編には、著者が手を加えているものがあり、単行本で出ている短編か、あるいは『全作品』採録の短編か、定本が定まっていない。このあたりも読者を混乱させる。ハルキ的テクストの定本を、そろそろ著者が決めておいて欲しい。

 

なお、『全作品』刊行後の短編集は、『東京奇譚集』(新潮社,2005)、『めくらやなぎと眠る女』(新潮社,2009)、『女のいない男たち』(文藝春秋,2014)がある。

 

ちなみに私の好きな村上春樹の短編は、「午後の最後の芝生」「シドニーのグリーン・ストリート」「納屋を焼く」レーダーホーゼン「図書館奇譚」「めくらやなぎと、眠る女」「沈黙」「木野」などなど。

 

 

村上春樹全作品 1979~1989〈8〉 短篇集〈3〉

村上春樹全作品 1979~1989〈8〉 短篇集〈3〉

 

 「夜のくもざる」という掌編があったことを想い出した。

夜中の二時に私が机に向かって書き物をしていると、窓をこじあけるようにしてくもざるが入ってきた。

「やや、君は誰だ?」と私は尋ねた。

「やや、君は誰だ?」とくもざるは言った。(「夜のくもざる」『村上春樹全作品1990-2000』第1巻、p171-172)

 

村上春樹全作品 1990~2000 第1巻 短篇集I

村上春樹全作品 1990~2000 第1巻 短篇集I

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2002/11/21
  • メディア: 単行本
 

 

村上春樹全作品 1990~2000 第3巻 短編集II

村上春樹全作品 1990~2000 第3巻 短編集II

 

 

村上春樹の動物名が入る「短編集」は以下のとおり指摘できる。

 

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 1986/10/15
  • メディア: 文庫
 

 

 

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2005/03/31
  • メディア: 単行本
 

【追記 】2020年10月21日

 

村上春樹教科書掲載作品一覧を以下に記しておく。22作品が掲載されている。学校ではこれらの作品の解読もされていると思う。加藤典洋村上春樹は、むつかしい』(岩波新書,2015)もあるくらいだ。読み方の多様性を、教室で言及していただきたい。

 

①「西風号のそう難」(『西風号の遭難』クリス・ヴァン・オールズヴァーグ原作) 
②「ノルウェイの森」(『ノルウェイの森』)  
③「ジャック・ロンドンの入れ歯」(『村上春樹雑文集』)  
「鏡」(『カンガルー日和』)  
⑤「ランゲルハンス島の午後」(『ランゲルハンス島の午後』)
⑥「レイニー河で」(『本当の戦争の話をしよう』ティム・オブライエン原作)  
⑦「待ち伏せ」(『本当の戦争の話をしよう』ティム・オブライエン原作)  
⑧「夜のくもざる」(『〈村上朝日堂超短篇小説〉夜のくもざる』)  
⑨「レキシントンの幽霊」(『レキシントンの幽霊』)  
⑩「七番目の男」(『レキシントンの幽霊』)  
⑪ 「一日ですっかり変わってしまうこともある」(『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』)  
⑫「ささやかな時計の死」(『村上朝日堂 はいほー!』)  
⑬「ふわふわ」(『ふわふわ』)  
⑭「バースディ・ガール」(『バースディ・ストーリーズ』)  
⑮「青が消える」(『村上春樹全作品1990-2000①』)  
⑯「カンガルー日和」(『カンガルー日和』)
⑰ 鉛筆削り(『夜のくもざる』)
⑱「とんがり焼きの盛衰」(『カンガルー日和』)  
⑲「夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について」(『夜のくもざる』)  
⑳「沈黙」(『沈黙』)  
㉑「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」(『村上春樹雑文集』)
㉒「 ポテト・スープが大好きな猫」(『ポテト・スープが大好きな猫』テリー・ファリッシ ュ原作)
*典拠:原善「教科書の中の村上春樹」(『暁星論叢66,2016)』)

 

 

村上春樹 雑文集(新潮文庫)

村上春樹 雑文集(新潮文庫)