男はつらいよ


全48作という映画史上異例のシリーズ、偉大なるマンネリと称されながらも、第47・48作には、主演の渥美清の体調がすぐれず、観るのも痛々しい思いを伴ったけれど、今回、NHKBSでシリーズ全作の放映が始まった。未見の作品があるので、まず第一作から観ることにした。

男はつらいよ [DVD]

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男はつらいよ』には、その後のシリーズの展開を予測させる、また繰り返し反復されるマドンナへの失恋のパターンの原型が、第一作にすべてが現れていた。喜劇であり同時に悲劇でもあるドラマトゥルギーの素晴らしさは、山田洋次という優れた作家の資質を示すものであろう。

続・男はつらいよ [DVD]

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特に、第一作と第二作『続・男はつらいよ』を観ると、『脇役本』の影響というわけではないが、マドンナ以外の脇役に眼が向いてしまう。第一作の前田吟の父・志村喬、初代おいちゃん役の森川信、おばちゃん役の三崎千恵子、御前様の笠智衆など、続篇では、東野英治郎の先生、寅の実母・ミヤコ蝶々、夢の母・風見早子、佐藤オリエの恋人役の医者が若き山崎勉、といった按配。このような脇役が、マドンナとは別に、随所に良い味を出しているシーンに出会うとつくづく映画の良さを感じてしまう。


さらに、第一作と第二作では、松竹大船調のリズムを感じた。例えば、小津安二郎の世界に共通するような音楽。もちろん、小津安二郎の常連・笠智衆は、第一作では、娘の光本幸子と奈良へ親子で旅行している。『晩春』の設定そのままではないか。第二作では、東野英治郎佐藤オリエの親娘は、京都、しかも、『晩春』と同じ清水の舞台にいる。


おそらく、撮影所システムが機能していた最後の時期になるのだろう。1969年8月27日が第一作の公開で、二作目は、同年11月15日公開であり、正月映画としてではなくあくまで、プログラムピクチャーとして撮られている。


省略のテンポ、つまり見せないことが、映画としてつながることの見本のような映画であり、省略が、見事な冴えをだしているのが、山田洋次の世界なのだ。


男はつらいよ フーテンの寅 [DVD]

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三作目は、監督が森崎東に変わり『男はつらいよ フーテンの寅』は、山田調の柔らかさとは異なる喜劇作家としての、ある種徹底性があらわれている。悠木千帆名の現・樹木希林が、旅館の女中役を演じていて、若い。寅と博の喧嘩などもリアルに演出されているし、アヴァン・タイトルが夢で始まるパターンを踏襲していないし、ラストの船中での、寅さんの啖呵の合唱などは、山田洋次ではありえない設定だろう。


それにしても、初期の渥美清の、せりふの歯切れの良さ、身体の動きの巧さは抜群だ。今では、すっかりおなじみになったバイの啖呵や、仁義の切り方など、ほれぼれして観てしまう。山田洋次渥美清の絶妙のコンビには、初期から一貫した輝きがあった。こんなにテンポが良く、面白く、また哀しくもある初期の『男はつらいよ』シリーズのような映画を、これから先、観ることができるのだろうか、と考え込んでしまう。それなりに、現在も映画を観続けているけれど。


以上は、初期の三本を観てのとりとめもない感想だ。『男はつらいよ』に関して、もうひとつ言えることは、渥美清という俳優の演技で映画を観ることになる。俳優の演技や存在感で、映画を観続けることなど、このところほとんどない。かつては、俳優で観た時代があった。


たとえば、市川雷蔵、代表作の『眠狂四郎』シリーズのニヒルさ、自らの出自による歌舞伎もの、文芸作品や古典もの、『陸軍中野学校』や『忍びの者』シリーズなどの歴史もの、そして私自身がもっもと雷蔵の好きなジャンルである明朗時代劇(『濡れ髪』シリーズ)など、さまざまな分野で悲劇から喜劇まで、映画の中の人物への変容ぶりの見事さには、美形の俳優として「アウラ」(ベンヤミン)を感じさせる。口跡のよさという点では、渥美清に通ずる点がある。さらに、一定の質を保証しているスタジオ・システムという制度が背後にあったことも見逃せないだろう。


男はつらいよ』全48作は、36年間つくり続けられた。市川雷蔵は、主演作だけで153本を撮り、37歳で他界した。市川雷蔵が、37歳で死去した1969年に、『男はつらいよ』の第一作が、公開された。雷蔵の死の年から始まった『男はつらいよ』が、36年間続いた。ここに、映画の黄金時代の幕引きを重ねてみることは、単なる偶然とは言い切れない「縁」を思う。


市川雷蔵主演作(153本)の一部

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