エレニの旅


冒頭、湖畔に現れた黒づくめの一群が固定した画面の手前に向かって、黙々と歩んでくる。手には大きなトランクを持っている。アンゲロプロスの名作『旅芸人の記録』を想起させるシーンだ。群集は旅芸人ではなく、成立したばかりソ連邦のオデツサから帰還したギリシア難民だった。1919年から、この映画は始まる。エレニは、孤児であり、群集のリーダー格スピロス(ヴァシリス・コロヴォス)の養女としてギリシアの地を踏む。


10年後、難民たちは、<ニューオデッサ>という土地に住んでいる。幼女だったエレニは娘(アレクサンドラ・アイディニ)に成長し、スピロスの長男アレクシス(ニコス・プルサニディス)の子どもを妊娠したが、スピロスの姉が内緒で出産させたのだった。以後、エレニとアレクシスは、エレニとの結婚を願望する父から逃亡する。また、双子の子どもたちとの関わり、そして戦争と内戦が、彼らを襲う。1936年の王と将軍の結託。1941年のナチスドイツの侵攻。1944年の解放。1946年の王政派と民衆派の内戦等々を背景として。


テオ・アンゲロプロスの撮影方法は、溝口健二と同様、ワンシーン=ワンカットと呼ばれる長回しによる。すべてのシーンが、長回しとロングショットであるため、ビデオやDVDでは人物の表情が読み取れない。大画面で観ることを前提として撮られている。ゆっくり移動するキャメラ、あるいは固定したまま対象の動きをじっくり捉える。


もちろん、このフィルムの圧巻は、<ニューオデッサ>村が水没するシーンを本物として作ってしまうところにある。エレニとアレクシスが二階の部屋で子どもたちと居た夜、河が氾濫して家の1階に水が浸水しているのを、アレクシスが階段を降りて確かめるシーンがある。その後、水没しようとする村のシーンが続くわけだが、村を造り、その村を本当に水没させるというのは映画史上はじめてではあるまいか。


この水没の前になるが、酒場のパーティ・シーンは、二人を助けたヴァイオリン弾きのニコスが、客が来るか心配するところから始まり、多くの人々が次第に集まり、ダンスを踊る。そこへ入り口あたりに傘をさした老人を後ろからキャメラが捉え、跡を追い、彼がスピロスであることを観客にみせ、酒場に入ると、息子のアレクシスに曲を注文し、エレニとダンスを踊るが、途中でエレニはダンスをやめる。ショックを受けたスピロスは、よろよろと歩きながら、出口付近で発作を起こし倒れる。アレクシスは、「父さん、僕が殺したのだ・・」というシーンまでが、カットなしのワンショツトで撮られているのだ。


このように、ある場所に何人も人が出入りし、何かの出来事が起きるシーンを、ワンカットで撮るのは、アンゲロプロスお家芸である。『エレニの旅』では、同じカットの中で異なで時間が流れるという魔法のようなケレン味がある手法は用いていないけれど、すべてが、このようにおどろくべきワンショットで撮られる。


父スピロスの葬儀のシーンも圧巻である。河に浮かべた筏の上に棺を載せ、遺族が立ち尽くしている。後方には、黒旗を掲げた小船が従う。このシーンがゆったりしたリズムで撮られている。絵としても見事な光景である。


その後、村の水没につながるわけだが、時代の変遷とともに、夫のアレクシスはアメリカに渡り、アメリカ国籍を取得するために兵隊に志願する。そして皮肉なことに沖縄戦に参加、戦死。この間、二人の最大の理解者であったニコスの死。ニコスを匿ったことで、エレニは牢獄を何度も体験する。そして、双子のこどもは、1946年の解放後、政府派と民衆派に別れて兄弟が敵・味方で闘う。双子の死。エレニは、すべてを失い、もとの孤児と同じ状態に戻り、「愛する相手が誰もいない・・・」と号泣する。


『エレニの旅』は、20世紀のギリシアを舞台にした三部作の一部で、アンゲロプロスの母の世代を描いたと監督はいう。この作品にみられるように、ギリシア現代史を、一人の女性の眼を通して描きながらも、20世紀の世界史に通底する普遍性をとらえた優れたフイルムになっている。


永遠と一日』でめずらしく晴れたエーゲ海を描き、人生の終末を見据えた作品を撮ったので、ギリシア現代史三部作(『1936年の日々』『旅芸人の記録』『狩人』)を反復して描くことはないと思っていたが、女性の視点から再構成するという新たな方法で、新三部作を撮り始めたと理解したい。ワン・シーン、ワン・ショットが見逃せないアンゲロプロスの今後が楽しみになってきた。


『エレニの旅』公式ホームページ


テオ・アンゲロプロスDVD-BOX