風味絶佳
- 作者: 山田詠美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/05/15
- メディア: 単行本
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山田詠美『風味絶佳』が、好評のようだ。高橋源一郎による朝日新聞掲載の「書評」(2005年6月26日)での「絶賛」。高橋氏が住んでいた家屋は、チェホフの翻訳家・神西清が住んでいた家だとか。そこに、三島由紀夫だの、吉田健一が出入りし、チェホフの短編について交わしたであろう「架空のことば」で、山田詠美の短編を褒めている。*1
私は、山田詠美の良き読者ではない。しかしながら、神西清訳のチェホフの短編を愛する。三島由紀夫は、その思想的行動はさておき、その絢爛豪華な過剰なまでのレトリックを駆使した文体を知っている。また、吉田健一の粘着的な饒舌体による小説や随筆も読んだことがある。これらの経験を前提に、『風味絶佳』を一編づつ味わうように読む。*2
なるほど、『風味絶佳』には、とび職、ゴミ収集車の男、ガソリン・スタンドのアルバイト、引越し屋、汚水槽の管理人、火葬場職員と、肉体労働者を著者のいう「描写欲」にもとづき、「取材」をしながら対象を好きになることで、文章を書き上げたようだ。
最後の一編『春眠』が面白い。大学の同級生の女性が、火葬場職員の父と結婚することに違和を感じつつも、最後まで父と女性の気持ちが分からない。章造にとって父は厳格そのものであり、母は家を守るというごく古典的な家族であった。母の死後、父は章造と妹を大切に育ててきた。ところが、章造のガールフレンド・弥生を実家に連れてきて以来、父と弥生はすっかり意気投合しているのだ。
人は誰でも死んだら灰だ。父はつねづねそう言っていた。人間の灰について熟知している彼の言葉には、あまりにも説得力があった。けれども、もしかしたら、灰になっても死なないものを、そこに見ていたのかもしれない。(p.210−211)
弥生はサークルの連中には、いつも「ぬくぬくとのんびり生きて行きたいの」と言っていた。章造の父は、まさしく弥生にとって求めていた理想のタイプだった。年齢を気にしているようには見えない。若い章造と、同年齢の弥生との<思いのすれ違い>、父の世代、妹から見る父と母と弥生。それらが、過不足なく、物語という器にぴたりと収まっているのだ。
『春眠』や『夕餉』や『海の庭』から連想される作品は、チェホフでもなければ、三島由紀夫や吉田健一ではなかった。私にとって、これらの作品は、向田邦子の短編を想起させる。『夕餉』は食事が清掃員の若者と、夫のもとから逃げてきた人妻との新しい生活の潤滑油になっているし、『海の庭』は初恋の二人の恋の行方を娘の眼からみた光景として、また、母の初恋の男と話す娘の心の動き。いずれも、描写の巧みさにおいて、山田詠美の到達した文体を感じさせる。
向田邦子の隠喩的な性を、山田詠美は直喩的に活写している点では、もちろん、異なるだろう。しかし、山田詠美の短編を読み、真っ先に既読感に襲われたのは、向田邦子の世界、『思い出トランプ』*3等の短編小説であった。
人間の弱さや、狡さなどを、<愛しさ>としてとらえる向田邦子の姿勢に、山田詠美の作品が接近しているように視える。実際、それぞれの短編で、肉体労働者を主体的に描いているけれど、認識者としての作者が背後にみえる。いわゆる労働者小説などではない。むしろ、山田詠美独特の優れた文体をつくりあげているし、生活者の日常次元の奥深いところを測鉛している。
敢えて、チェホフだの三島由紀夫だの、吉田健一などの先人の名前を引き合いにださなくとも、山田詠美は独自のスタイルを持つ作家だ。精緻でガラス細工のような人工的文体を持つ「三島由紀夫の後釜」になる必要などない。彼女自身の、新たなスタイルを見つけたことを、寿ぐことで十分だろう。
一読者として、『風味絶佳』六篇の小説の見事さを、絶賛したい。山本夏彦は「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と『父の詫び状』を評価した。脚本家ではなく、作家としての向田邦子であることは申すまでもあるまい。山田詠美は、突然あらわれたわけではないけれど、気がついたら「名人」になっていた。
- 作者: 向田邦子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1981/12
- メディア: 文庫
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- 作者: 山田詠美
- 出版社/メーカー: 新潮社
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- 作者: 高橋源一郎
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■山田詠美『風味絶佳』第41回谷崎賞・受賞(2005年8月23日)
『風味絶佳』の内容に相応しい「谷崎賞」受賞は、納得。おめでとうございます。実力的には、谷崎賞は芥川賞よりはるかに高いことは、周知のとおり。