百輭先生月を踏む


久世光彦(1935−2006)は、小説を書きはじめた動機として、「私が五十歳を過ぎて、何を今更と言われながら、ものを書きはじめた動機の一つに向田邦子への嫉妬があった。」(『昭和恋々』)と述べている。TVドラマの演出家として、向田ドラマを演出しながら、彼女が『父の詫び状』を書き、山本夏彦が、「突然現れてほとんど名人である」と褒めたことが、久世光彦にとって「悔しかった」のだ。



その久世光彦が、小説を書き始めた。50歳を過ぎて、1987年『昭和幻燈館』(晶文社)にはじまる快進撃は、目を見張るものがある。遺作となった未完の『百輭先生月を踏む』(朝日新聞社)は、いかにも久世光彦の世界、メタフィクションになっている。解説は、坪内祐三とくれば、まず「解説」から読みたくなる。そこをグッと我慢して、久世氏の最後になってしまった作品『百輭先生月を踏む』から、読む。


百〓先生 月を踏む

百〓先生 月を踏む


内田百輭は、借金から逃れて小田原にある経国寺の仏具小屋に住んでいるという設定。経国寺には、15歳の果林という小坊主がいて、住職と三歳年上の大黒さんが住む。果林の視点から見た内田百輭の日常と、百輭が書く「小説」から作品が構成されている。小説は「冥途」や、「サラサーテの盤」の傾向のもで、なかには「随筆」も含まれるというきわめて技巧的工夫が凝らされている。


冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫


かつて筑摩叢書に、内田百輭の『私の「漱石」と「龍之介」』があったことを思えば、漱石山房の話や、芥川が九鬼龍之介として登場するのは不思議ではない。『百鬼園随筆』で人気を得た作家は「冥途」系の作品をほとんど書いていない。なぜなのか。久世氏の遺作が完成していれば、そのあたりの事情にまで踏み込んでいたであろうことは想像に難くない。


百鬼園随筆 (新潮文庫)

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川崎長太郎『抹香町』の主人公が川上竹六で、ちょうど50歳だから、坪内氏の慧眼に従えば、鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』の舞台と、「川上竹六」が通う「抹香町」を背景にしたいがために、場所が小田原に設定されたという。


抹香町・路傍 (講談社文芸文庫)

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それにしても、久世光彦の作風は、「昭和」にこだわり続けた。基本は男女のエロスと死をメタフィクションとして描く。『一九三四年冬―乱歩』や『蕭々館日録』の系譜に『百輭先生月を踏む』は連なっている。傑作である。


一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)

一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)


内田百輭は死後、3回くらいブームがあつた。旺文社文庫の第一期。この時期に、鈴木清順が『サラサーテの盤』を原作に田中陽造脚本『ツィゴイネルワイゼン』(1980)が撮られた。福武書店から文庫が刊行された第二期。そして、筑摩書房から「内田百輭集成」として「ちくま文庫」刊行となる第三期。


ツィゴイネルワイゼン [DVD]

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黒澤明まあだだよ』(1993)は、内田百輭還暦以後、弟子たちを囲む「摩阿陀会」をもとに映画化されているが、内田百輭を知る者にとっては、この映画は失望させるだけであったことは、作品そのものが、黒澤的世界の象徴である「先生と弟子」のパターンで描かれているからにほかならない。

まあだだよ デラックス版 [DVD]

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