female


映画化を前提として五人の女性作家が書き下ろした短編をもとに、五人の映画監督が撮った5本の映画で構成されている。いずれも、女性の「エロス」を主題としたもの。五人の女性作家とは、姫野カオルコ『桃』、室井佑月『太陽の見える場所まで』、唯川恵『夜の舌先』、乃南アサ『女神のかかと』、小池真里子『玉虫』。一方監督はそれぞれ、篠原哲雄廣木隆一松尾スズキ西川美和塚本晋也といった充実した布陣。


映画5本分の楽しみがある。まず、長谷川京子主演の『桃』は、清ました顔で、「桃」を食べるシーンが、実に官能的というか、エロティックですらあった。食べる行為自体が、エロス的なものだが、熟した桃を舌先で舐め、食べる行為は、過去の少女時代・野村恵里が先生と「桃」を媒介に交歓した回想のイメージに連なり、エロティシズムの極地。篠原哲雄の手腕に脱帽。


『太陽の見える場所まで』は、片桐はいりが運転するタクシーに乗り合わせた石井苗子が、女性の強盗大塚ちひろに襲われるという、およそ考えられないシテュエーション。コミカルなシーンから、幻想的な映像の転換は『ヴァイブレータ』の廣木隆一の感性か。お金がからむところが5本の中で最もリアルでもある。


『夜の舌先』は、工場で働く高岡早紀が妄想の果てで、セックスに溺れる。高岡早紀の裸体パワー全開のフィルムだ。離婚を契機に、女優として大きく成長したことが窺える。真面目にセックスに励む男女を横から視れば、滑稽に見えてしまう。にもかかわらず、相手を独占したいと強く願う心情は、誰もが経験するところであろう。ただ、官能的かといえば、あからさまな性描写は、逆の効果をもたらす。むろん、そこが松尾スズキの狙いであることがよく分かる。


『女神のかかと』には、軽いめまいを覚えた。大塚寧々は、母にして、女であることを、足でみせる。少年の心をまどわす、おそるべき存在としての「女」。監督が、女性・西川美和*1であるだけに、恐怖心すら抱かせる。女性は怖い!


5本のなかでは、一番大人の世界を描いた『玉虫』。石田えりの中年にさしかかった女性の色気を見事に引き出している。老人・小林薫に囲われる女。石田えりが振り付けつきで踊る「渚のシンドバッド」は最高!。田舎の風景。古風な家。雨。塚本晋也ワールドになっていた。


5本を通して、女性による「エロス」の感覚のあり方が示されると、観るものは身構えてしまう。それぞれに官能的であり、あるいは「エロス」が放出されていたり、妄想と現実が交錯する虚構の世界にして、リアルでもある。男性の直線的な「エロス」感とは異なり、女性の「エロス」感覚は曲線的であることを知らされる。男性は、「エロス」の彼方に至高性を希求するが、女性は「エロス」を「エロス」として受けとめる。そんなことを思わせるフィルムだ。マイナーな作品で見逃すかもしれないので、敢えて男性必見の映画として推奨しておきたい。いやー、勉強になりました。


バタイユによれば、「エロティシズム」とは、「肉体のエロティシズム」「心情のエロティシズム」「聖性のエロティシズム」の三つの形式に分かれるという。5本をバタイユの形式に当てはめるとすれば、「肉体のエロティシズム」は、『桃』『夜の舌先』、「心情のエロティシズム」は、『太陽の見える場所まで』『女神のかかと』、そして、「聖性のエロティシズム」は『玉虫』ということになろうか。

あらゆるエロティシズムの遂行は、存在の最も深部に意識を失うまで到達せんとすることを目的としている。(p.26)


人間がエロティックな動物である以上、人間は人間自身にとって一つの問題である。エロチシズムは、私たちの内部の問題的な部分である。(p.401)


最高の哲学的な疑問は、思うに、エロティシズムの頂点と一致する。(p.402)
バタイユ著・澁澤龍彦訳『エロティシズム』(二見書房、1973)*2


「エロティシズム」とは優れて思想的なものなのだ。


『female』の公式サイト


■書き下ろし原作

female(フィーメイル) (新潮文庫)

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篠原哲雄

月とキャベツ [DVD]

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廣木隆一

塚本晋也

六月の蛇 [DVD]

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*1:蛇イチゴasin:B0001LNNHKした。是枝裕和のスタッフ・助監督として下積みを経験している注目の新人監督。

*2:ISBN:4576000225