牝犬

ジャン・ルノワールによるトーキー2本目の作品『牝犬』(1931)が、やっとDVD化された。ドラマと現実が重なっていたことなど裏話*1が豊富であり、もちろんそれ以上にこの映画が、喜劇であるとともに悲劇でもあり、平凡な生活人が「恋愛」を通じて変容する物語でもある。



さえない中年男モリス・ルグラン(ミシェル・シモン)が会社の経理係をしているが、ある夜男に乱暴されている女性リュリュ(ジャーニー・マレーズ)を助けたことから、人生が変わって行く。

乱暴していた男は、リュリュのヒモ・デデ(ジョルジュ・フラマン)であり、リュリュを巡ってルグランとデデの三角関係がねじれを起こす。ルグランが趣味で描いた絵画を売却してしまうことがドラマの展開上大きな鍵となっている。

山田宏一は『新編 美女と犯罪』(ワイズ出版、2001)でルノワールの人間喜劇としての映画について次のように指摘していることは示唆的だ。

ジャン・ルノワールの「人間喜劇」が犯罪という荒唐無稽のきわみに昇りつめるのは、その現象だけをとらえてみればごくありきたりだが、要するに、いつも女がそのその官能的魅力で、男という男を狂わせ、愛を、欲情を、殺意を、かきたてるのだ。(p.『新編 美女と犯罪』)


撮影は戸外と室内の往還が見事で、いかにもルノワール的雰囲気に満ちており、同時録音撮影のスタイルは、後のヌーヴェル・ヴァーグを先取りしている、というよりゴダールトリュフォーが真似たようなシーンが随所にある。

しかし、このフィルムは何といってもミシェル・シモンの存在*2にある。律儀で堅気のサラリーマンから、官能的な『素晴らしき放浪者』へ変容する過程にあるだろう。


素晴らしき放浪者 [DVD]

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*1:ジャン・ルノワールは『自伝』のなかで「『牝犬』の中心人物を演じたのはミシェル・シモンとジャーニー・マレーズと、それにジョルジュ・フラマンだった。三人とも、いずれ劣らぬ好演を見せ、かつ事実に対する信仰をとことんまで推し進めた結果、実生活においても、映画で語られているのとほとんど変わらぬ事件を体験することになった。」(p.134)と記している。

*2:ジャン・ルノワールは『自伝』で「私も長い映画生活の間に、自分の役になり切ってしまう俳優に何人となく会ったが、誰一人としてピランデルロ風の自己同化を、これほど徹底的に推し進めた者はみたことがない。ミシェル・シモンはもはやミシェル・シモンに非ず、店員のルグランさんその人になり切っていたのだ。」(p.136)と述べている。