偏愛文学館


偏愛文学館??

偏愛文学館??


惜しくも急逝した作家・倉橋由美子の遺稿書評集『偏愛文学館』は、いかにも、この作家の好みが反映した作家・作品が並べられている。漱石の場合は、通常、『それから』以後『明暗』にいたる新聞連載作品を好む読者が多い。ところが、倉橋由美子は『吾輩は猫である』を「快作」と評価し、『夢十夜』のような小品を愛す。

漱石は小説家としても実に多様な可能性をもっていた人でした。弟子にとりかこまれた大文豪なんかにならず、大学の先生でもしながら気楽に小説を書いていれば、もっと型破りで面白い小説を沢山書いたのではないかと思います。(p.10)


漱石に対するこのような姿勢は、当然、鴎外を評価する立場にたつ。「かのように」や「百物語」に触れながら、

どうやら、秀麿、五条子爵、飾磨屋などは鴎外の分身で、そうなると一番怖いのは鴎外自身だったといわざるをえません。この文人官僚、軍医、そして一見子煩悩な父親として生きた人物は、無を知り抜いた上で「かのように」を熱心かつ完璧に実践しつづけたお化けではなかったか、などと考えてみると楽しくなります。(p.14)


と言ってのける。また、川端康成の『山の音』に言及して、

大体、人間(とくに男)が頭の中で考えていることをそのまま外へ出してしまえば、それはかなり変態的なものになるほかありません。『山の音』にはその類のことが、信吾の頭に浮かんだ通りあけすけに書いてあります。(p.183)
しかし、菊子に能の「菊慈童」の面をつけさせて眺めるところは川端ならではの神業のような名場面で、ここを読むだけでもこの小説を読む甲斐があります。(p.184)


うーん、さすが「反文学」を貫いた作家。眼のつけどころが違う。特に、中島敦の作品にたいする畏敬に近い思いは、倉橋由美子の独自性にかかわる。

漱石風、志賀直哉風、小林秀雄風、大江健三郎風の文章ならその癖を真似して書くことはできても、この中島敦の文章のパスティ−シュ(模作)はちょっと無理です。素養というものは、人生をやり直さない限り身につくものではなさそうです。(p.43)


いくら多くの作品を残し長生きしても、並みの作家は並みの作家でしかない。「中島敦は、今では誰も真似のできなくなった見事な文章」を書いたと絶賛する。


以下、同じような引用を重ねるよりも、作家の名前を挙げてみよう。三島由紀夫吉田健一内田百間澁澤龍彦谷崎潤一郎岡本綺堂など、好みの系列ができあがる。そういえば、澁澤龍彦に『偏愛的作家論』という著書があった。



外国文学では、トーマス・マンカフカカミュジャン・コクトー、サキ、サマセット・モームパトリシア・ハイスミスピーター・ラヴゼイ等々。倉橋由美子が創り上げてきた世界に通じるではないか。


でも、正直にいえば、倉橋由美子はあまり読んでいない。記憶をたぐり寄せても、『パルタイ』『聖少女』*1、『夢の浮橋*2、『老人のための残酷童話』を想起する程度である。それでも、日本の私小説的風土のなかで、批評精神に富んだ寓話や、鋭い文体意識は、この作家の存在を際立たせていたといえよう。享年69歳は現在では、十分に若い。おくればせながら冥福を祈りたい。


老人のための残酷童話

老人のための残酷童話