成城だより


成城だより 上 (講談社文芸文庫)

成城だより 上 (講談社文芸文庫)


前日の「車谷長吉の原点」について補足しておく。車谷氏が今後は「史伝」を書くということへの違和感として。
「史伝」を辞書から引用すると次のとおりである。

①歴史と伝記
②歴史に伝えられた記録
『岩波広辞苑第五版』

虚構をなるべく少なくし、その代わりに考証をまじえた伝記
新明解国語辞典第六版』


新明解国語辞典』の説明がよろしい。

「史伝」と「私小説」は対極にある。「史伝」とは、己を無私の位置から史料に忠実に再現することにあり、「歴史小説」や「時代小説」とも異なる。つまり、作家の想像力が排除される場所で書くのが「史伝」である。車谷長吉が「史伝」を書くことは、「転向」を意味する。なぜ、そこまでこだわるかといえば、車谷氏は「私小説」を商品化することで、文壇に認められた作家である。鴎外の『澁江抽斎』『伊沢蘭軒*1『北条霞亭』*2のような史伝を目指すのか、さもなければ、大岡昇平天誅組』や鴎外『堺事件』の実証的反論である『堺攘夷港始末』*3のような「史伝」なのか。大岡昇平の史伝執筆に際して、史料の解読に協力した大学教授(助手時代に)を知っているだけに、車谷長吉がどのような意図で「史伝」に転向したのか、読者に説明する義務があると考える。


渋江抽斎 (岩波文庫)

渋江抽斎 (岩波文庫)

天誅組 (講談社文芸文庫)

天誅組 (講談社文芸文庫)


「史伝」とはことほど左様に、困難な作業なのである。「自分の藝術は真実である」との信念を持つ車谷長吉の「史伝」との何なのか。一読者として、車谷氏が私小説を捨てたのであれば、大岡昇平の小説に対する姿勢を見習っていただきたい。大岡氏は「虚構」としての「小説」と「歴史小説」「史伝」を厳しく区別した。『俘虜記』は自己の体験を相対化して描いた「私小説」だが、同じ戦争体験ものでも『野火』とはまったく異なる「小説」である。また、ライフワークである『レイテ戦記』は「史伝」に属するだろう。


俘虜記 (新潮文庫)

俘虜記 (新潮文庫)


車谷長吉が、仮に「史伝」を目指すのであれば、『レイテ戦記』に相当する体験がないのだから、せめて『成城だより』に相当する日録のようなものを書いていただきたいと願うのは、ファン心理として当然と思うのだが。
いずれにせよ、車谷長吉に言及するのは、これを最後にしたい。



レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)

レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)