文士の生魑魅


文士の生魑魅

文士の生魑魅


車谷長吉『文士の生魑魅』読了。内容としては、『文士の魂』の続編の趣だが、読書遍歴としては、同工異曲のもので、「うち嫁はん(高橋順子)」が頻出する。同じような車谷氏の経歴が反復され、鼻白む思いがしないこともない。はっきりいえば、『文士の魂』の二番煎じ以上ではない。にもかかわらず、楽しく読めてしまう。


文士の魂

文士の魂


「生魑魅」とは、「(古くはイキスタマ・イキズタマか)生きている人の怨霊。いきりょう。」(『広辞苑』第五版)という意味。文士の「怨霊」というタイトルに見合う「テクストの引用」が多く、引用文だけでも、十分に読者を魅了させる。


ところで、本書の中に「嫁はん(高橋順子)」が、八回登場する。これはもはや、お惚気以外の何物でもない。

①私が嫁はん(高橋順子)をもらったのは、平成五年秋、四十八歳の時であるが・・・(p.21)

②いまでは「因業車谷」とか「毒蛇車谷」などと嫁はん(高橋順子)になじられ、・・・(p.56)

③多くの文藝編輯者やうち嫁はん(高橋順子)に、川端康成賞をもらうだろうと褒めそやされた。
(p.76)

④岸田襟子さんは詩人として、うちの嫁はん(高橋順子)の姐御格である。(p.95)

⑤平成十年夏に幸運にも私は直木賞をいただいたので、大金がころがり込んで来て、喜んだ嫁はん(高橋順子)が「家を買います。」と言いだし、・・・(p.105)

⑥いま私は五十九歳で、嫁はん(高橋順子)は六十歳である。(p.108)


車谷氏の「史伝」について、「嫁はん(高橋順子)」は編輯者と同様な反応をする。

⑦これはうち嫁はん(高橋順子)も、まったく同じ意見であった。(p.127)

最後に。

⑧うち嫁はん(高橋順子)と結婚した直後にも、嫁はんから「隣の意地悪爺さん。」とからかわれている。(p.162)

以上、本書には八回も「嫁はん(高橋順子)」を登場させている。それも毎回、高橋順子の名前をつけて。「のろけ」か別の意図があるのか。普通は、こんな書き方をしない。自慢しているように読めてしまうのだ。


本書の冒頭「病者の文学」で、藤枝静男「悲しいだけ」の妻の病に触れて、


悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)

悲しいだけ・欣求浄土 (講談社文芸文庫)

こういう結核、及び癌を病んだ女に一ト時訪れた安息。まるで彼岸の浄土から光が差してきたような一瞬だ。/当節は功名心のために、あるいは金が欲しいために、作家になりたがる手合いが多い。これは文学の堕落である。文学とは本来、この妻のように、人の苦痛が一ト時の慰めを求めて手を伸ばすものである。(p.15)


堀辰雄の「甘く美しくエキゾチック」は、文学における「言葉のまやかし」として排し、北条民雄藤枝静男の作品を本物と賞賛する。


「意地悪な目」では、向田邦子富岡多恵子について

「意地悪な目」を持つ作家の作品には、駄作は一つもない。(p.68)


と絶賛する。車谷氏独特の選択眼でえらばれた作品の引用も多く、読んで面白いことは確かだ。
ところで、車谷氏は「私小説」を止めたらしいが、「史伝」を書くことについて、

私は鴎外、露伴漱石、一葉、荷風の驥尾に付したい。(p.130)


との意思を示すけれど、上記の作家はいわゆる「私小説」を書いていない。作家としてのスタイルが異なる。一冊の書物に「うち嫁はん(高橋順子)」を、八回反復して書くことと、「史伝」の接点はあるのだろうか。


けったいな連れ合い

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