酔画仙


イム・グォンテク『酔画仙』(2002、韓国)を観る。


水墨画のような風景が見える。中国の桂林や黄山などではなく、朝鮮半島の風景であり、それは、河のほとりであったり、畑の広がる平野であり、また湖である。それらの風景が、背景として『酔画仙』の主人公が旅で目にする光景になっている。


中国に影響を受けた山水画には、当然のようにある種の約束事があり、それを踏まえて、いかに、画家の個性を発揮できるがが、伝統的な絵画の世界である。


酔画仙ことチャン・スンオプ(雅号:吾園)の生きた時代は、日本でいえば、幕末から明治、19世紀後半にあたる。朝鮮の近代化への時代に翻弄されながらも、自らの画を探求し続けた放浪の画家の伝記映画。


吾園(チェ・ミンスク)は、貴族出身ではなく、貧しい階層から己の画才を武器に、世間で認められ、やがて宮廷画家にまで出世する。吾園は、常に誰かのために、あるいは命令や依頼によって画を描いて行くのだが、山水画という約束事に束縛されることを忌避し、己の画風を模索する。酒と妓生に鼓舞されながら。


誰のために画を描くのかというのは、画家にとってきわめて重い問いであろう。世俗的に認められてはじめて金銭に交換され、自らの生活を維持することができる。画題を与えられて描くことは、多くの画家が経験することであり、内なる情念をそのまま描出できるとは限らない。また、描きたいことを描いてもそれが、直ちに評価されることは稀有なことでもある。


貨幣との交換で描かれる画ではなく、「贈与」として吾園が描いた画がある。ひとつは、最初の同居人と別れるときに、描いた「梅花図」であり、これが評判を呼ぶ。また、吾園の弟子のために書いた「豪鷲図」はのちに、再度同じ画の注文がきたとき、あのときは「神の力」が書かせたので同じ画は描けない、という。つまり、「交換」のためでなく、「贈与」(愛)のために書かれた画は、まったく質が異なる。「他者の悦楽」のための「贈与」とは「純粋贈与」=「純生産」(中沢新一)となることが、画家が「愛」のために描くという行為の価値に表現されているといえるだろう。*1


吾園という雅号を付与した師であり、人生の先生役キムに、名優アン・ソンギが配されている。アン・ソンギは、この映画の要の位置にいる。王朝時代に開明派に所属し、東学党とも関係している。しかし、朝鮮王朝は、清と日本帝国の双方から攻められ、改革や反乱は日本帝国主義によって制圧されることになる。宮廷から追放された吾園が、広大な畑のなかで、老いたキム先生に遭遇するシーンは、ロングショットにもかかわらず、いや、それゆえ、感動的である。


吾園がもう少し以前に生まれていたら、換言すれば王朝時代のそれなりに安定した時代であれば、絵画を通しての苦悩は少なかったのではないだろうか。つまり、時代が「風景の発見」(柄谷行人)を要請したともいえる。吾園は、それに応えたることができたから山水画の巨匠=鬼才として、同時代から、また後世からより一層評価されたのだ。


最近の韓流ブームで、若い世代の映画が、日本でも次々と公開されている。しかし、イム・グォンテク(1936〜)は60年代から映画を撮っている韓国映画の巨匠であり、日本でいえば黒澤明に相当するだろうか。いや、マキノ雅広といった方がより正確かも知れない。
100本近い映画を撮っている多作な職人監督でもあるからだ。日本で公開された映画『風の丘を越えて西便制』(1993)、『祝祭』(1996)、『春香伝』(2000)と観てきて、マキノ雅広から黒澤明へ変化(進歩ではない)したことがわかる。


『風の丘』や『春香伝』では、韓国伝統音楽のパンソリを巧みに導入していたが、本作でも、パンソリが流れる。なお、『ラブストーリー』のソン・イェジンが、初恋の人として登場している。彼女の死の直前彼女のために、一気に「鶴」の画を描くシーンも忘れがたい。もちろん、この「鶴」の絵画も、吾園による「愛の贈与」にほかならない。


イム・グォンテク『酔画仙』は、東洋の山水画を映像のなかで捉え、東洋美学の伝統と革新を、吾園が生きた時代に自己投影することで、絵画と映像を見事に融合したフィルムを撮ったといえよう。イム・グォンテク自身が、政治的抑圧のなかで職人的映画を撮ることで存続し、文化開放時代の到来とともに、『風の丘』以降の芸術的達成度の高い作品を創ることができたのだった。どこか、吾園の人生を彷彿させるではないか。


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*1:このパラグラフは、中沢新一『愛と経済のロゴス』から示唆されている。